月別アーカイブ: 2021年5月

おひとり様コンサート。

5月10日。もともと予定されていた岐阜新聞社のロビーでのコンサートはコロナで中止。その日の午後に、「マーサさん、おひとり様コンサートは終わりましたか?」と一通のメール。先日、書いたブログをきちんと覚えていた方がおられた。 … 続きを読む

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つながりが終わる瞬間(とき)。

母と父は携帯電話をセットで契約していた。すでに父はここ約半年、自分から電話をすることはなくなったが、母が生前、入院する前日まで電話を使っていたため、契約を継続していた。今回、もう使う人がいなくなってしまったので、少し迷っ … 続きを読む

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生きている限り、出会う。

残された人がつらい。残された人が大変。人の死とは、そういうものだと、母が亡くなったあとに誰かが言っていた。確かにそんなものかなと思う面もあり、そして、今は、それもあるけれど、それだけでもないとも思える。 今も母の姿かたち … 続きを読む

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それぞれの母の日を。

子どもの頃から、あるいはいろんな事情で母親がいない人が、母の日をどう捉えているか、などこれまで考えることもなかった。 そんなことを知っただけでも、今回の母のことは勉強になった。赤いカーネーションが町を彩り、楽しい感謝が溢 … 続きを読む

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「今は昔の良き日本」への警鐘。

世界を旅しているとき、台湾人も、欧米人も「おー、日本はいいところ~」とみなさん、口々に絶賛されていた。今も忘れない。20年ほど前のことだ。あるパリはモンマルトルの洋品店のおやじさんに、私がTOKYO、JAPANから来たと … 続きを読む

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わが背中を押す言葉に出会う旅

最近、一行日記をはじめた知人がいる。それを始めることが、コロナ禍での新たな過ごし方になっているかもしれないし、生活を変えるきっかけになっているかもしれない。少なくとも、まずテレビを見る時間は格段に減ったそうだ。 とにかく … 続きを読む

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「あい」と「えーあい」。どっちが?

AI。人間社会には不可欠な存在である。「あい(愛)」も「エーアイ」も。 最近、スマホに向かって、あるいはロボットに向かって話しかけている人は増えている。何度も同じ言葉を言って、「もう!」と言っている人もよくみかける。入力 … 続きを読む

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喜怒哀楽から生まれるパワー

社会学者の上野千寿子さんが、NHKの番組での学生からの質問に答えたその一言が、大変印象的であった。 「先生は、どこからそのパワーが湧いてくるのですか?」男性の学生からの質問だったと思う。 「それは、怒りですね。例えば、最 … 続きを読む

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何百分の大きな一。

両親がお世話になってきたケアマネージャーさんと久しぶりにお会いする。母が亡くなったことで、このケアマネさんとのおつきあいが、業務上はこれで終了となる。久しぶりに訪ねてくださって、母の最期を報告した。そして、お世話になった … 続きを読む

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まぐろの休日。

気を張って、気合いを入れて、とにかく走り続けてきたこの1年半。次は何が起きるかと、ひやひやしながら、いのちと経済の間をぐるぐるさまよい、とにかく全力で親のことに対面してきた。自分ではそういうつもり。妹も一緒に、振り回され … 続きを読む

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