Essay (Word)」カテゴリーアーカイブ

ぶっつけ本番の前に。

久しぶりに新潟で懐かしい人たちにお会いし、交流いただき、そして、演奏もお聴きいただくという場を!と思い立ち、準備をはじめた。コロナやいろんな事情で、動けなかったこの何年か。いつまでも、「コロナだから」も言い訳にはできない … 続きを読む

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なぜ、今なんだ?

ここんところ、街頭が賑わしい。いい意味では言っていない。先日も鵜飼の最終日、静かにその様子を見ようとしていたら、街宣カーが通過。時間がないから、許可されている時間ぎりぎりまで候補者の声を届けたいのだろう。静かな時間、場所 … 続きを読む

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おもしろうて、おもしろうて やがて・・

昨日10月15日をもって、わがふるさと長良川の鵜飼は今年のプログラムを終了、無事、幕を閉じた。いつのまにか、父の病い、そして旅立ちと重なり、長良川の鵜飼は父や母をしのぶ大切な存在になった。川面に浮かぶ漁火が、鮮やかだった … 続きを読む

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オレンジコスモスと回転寿司。

実家の庭のオレンジコスモス。長い猛暑の影響か、今ごろ咲く彼岸花とともに元気に咲いている。秋を感じる色合いで、じんわり温かい気持にもなる。この花は、父の葬儀の朝、妹が摘んできてくれて一緒に会場に飾った。病に倒れ、入院、施設 … 続きを読む

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一緒に過ごす1日

今日で、父の旅立ちからまる3年。前にも書いたが、その時間に実感がない。もう3年?まだ3年?長くも、短くも感じられるし、5年と言われてもそうかもしれないと思う。だんだんそんな感覚になるのかもしれない。 一度止まった時計は、 … 続きを読む

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水を求めた人たちへの祈りを改めて。

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館という名の建物は、原爆資料館に隣接して在る。たまたま、3年ほど前にそこで被爆体験の朗読会をされていることで立ち寄ったのがきっかけで、それ以来、何度か足を運び、自分の知らない原爆の恐ろしさ、 … 続きを読む

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ノーモア ヒバクシャの思いをともに。

たまたま、先日、長崎の原爆爆心地や資料館、被爆者祈念館界隈を歩きながら、この銅像の前でたちすくんでいた。本当に、なんということを・・・。ここに来ると、いつも現実の恐ろしい世界を想像し、被爆された皆さんのことを思う。 また … 続きを読む

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NewsPaperが、好き!

新幹線にはここんところ、連日乗ることが多い。朝、京都駅に着いてすぐの習慣は、京都新聞の「朝刊」を買うこと。そして、仕事が終わって、帰り道には「夕刊」を買う。夕刊は、コンビニによって扱いがないため、元気が残っていれば、時間 … 続きを読む

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愛のゴッドシスター。

最近、首をかしげたくなるような話題ばかりが続くが、そんななか、世の中に神様はいる、と思えたのが、例の袴田さんの無罪確定。この10年以上、裁判が進む折に、そのニュースを複雑な気持ちで見ていた。本当に死刑なんだろうか?これは … 続きを読む

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気合いを気愛にかえる1日。

連日出張の初日は、とくに気合が入る。よし!今日も行くぞ!という感じ。二日目も同じ。三日目も同じ。最終日の場合は、余計に気合を込める。 日帰り出張で、国内かなりの遠方まで往復できる。名古屋拠点のいいところは、そんなところ。 … 続きを読む

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