長崎の空を想う朝

近年、撮影した長崎の空。
なぜか私の中では、ブエノスアイレスの空と長崎のそれは共通点がある。
きれいな、澄んだブルー。そこに雲が存在感豊かに浮かんでいる。
長崎に行くと、坂道が多いせいもあってか、町と空が一体になっている、
そして開かれた町長崎であるから、世界がつながっているようなそんな
気にもなる。

81年前の今日、この空はどんな様子だったのだろう。
ピカドンとなった瞬間の様子を想像するのも、恐ろしい。
まさか、ここに?なんで?
まったく受け入れることができない突然の恐怖の瞬間に
立ち会ってしまった人たちのことを思うと、心が痛む。
これは、毎年この日になると思うし、長崎に足を運ぶごとに、
そのことが頭から離れられない。

突然の爆弾、しかも原子爆弾・・・。
当時、誰も経験したことのないこの恐怖との戦いは
いかほどであっただろうか・・・。
その苦労を乗り越え、
被爆経験された方々、ご家族、地域の皆さんががんばって
二度とこのような惨状を経験しないようにと、命をかけて
運動を続けておられるが、この思いを受け継がねばならない。
他人事ではないのだ。

今日は長崎の空を想い、静かに祈りをささげたい。

その瞬間にも、世界では罪のない人々が命を奪われる
危機が続いている。
空は続いているのだから、平和への願いが向こうの空
にも伝わるといいのに。

長崎が、絶対に!最後の被爆地でありつづけるように。

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今だけでなく、でも今だから。

この1週間は原爆、被爆の話題が多く取り上げられている。
そして、来週には終戦、戦争のことも取り上げられることが
多くなるだろう。
この季節だから、この時期だから・・・。
明日は長崎の原爆投下から81年として、式典も開催され、
全国に、世界に発信されるだろう。
そして、この季節が過ぎると、被災地以外では、忘れられて
いく。

毎年この時期になると、人間は大変なことをしたものだと
たまらない気持になる。
日本人もアメリカ人も、ドイツ人も・・・被害者であり、
加害者。戦争で勝つ人はいない。全員が負ける。
ということをわかっていても、まだやっている。
人間はおそかな動物だということを、学ぶ。
戦争のことを知ると、悲しいけれど人間の性について
考えざるを得なくなる。
学びの多い、心が騒ぐ。

戦争、原爆のことは今の時期だけでなく、常に語られ、学び、
考え、そして「NO」の意志をもち、生きなければと
思う。
教育のなかで、常に教え、学び、伝えていかねばならないと
思う。
この10年以上、長崎に通うようになって、つくづくそう思うようになった。

今だけでなく、いつも心に。
でも、今だからこそ、あれから81年と心に刻み直すことが
できるから、節目、周年は意味がある。

この日を時期をきっかけに、いつも戦争を原爆を正しくみつめ
平和の世界を希求しつづけなければ。
と、改めて思う。

しめやかな気持で、厳かな気持でこの8月を過ごす。
単に楽しい夏休み。ではない。ということを世代を超えて
学び合いたい。

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まずは、小さな平和から。


広島への原爆投下から81年の記念式典。
被爆者の遺族の方々から、関係者・・・。
そこで発信される公式メッセージに耳を傾けながら
いろんな思いになる。
年々、むなしさも感じてしまうが、それではいかん!
と自らに。

被爆された方々の高齢化は、年々深刻になっている。
そんなに遠くない日、生存されている方がいなくなる
ことは確実だ。
直接体験を聴く機会がなくなれば、触れる機会がなくなれば
人々の記憶からも、意識からも、そのうち消えてしまうのか。

亡くなった人のことを忘れない間は、その人は生きている。
といつも思い続けているが、原爆も同じこと。
原爆の恐ろしさを知り、その事実を伝聞であれ理解し、記憶していれば、
それは現実に起こった悪しき歴史として、絶対に繰り返しては
いけないと思えるが、知らなかったり、忘れてしまえば、
何もなかったように、核使用は進んでしまうだろう。
81年間の願い、叫びは、高齢化という言葉で、終わってしまっては
あまりに悲しい。

平和はあったらいいな。では実現しない。
自分から平和な世界をつくらなければならない。
でも、大きなことは難しい。
でも、諦めなくていい。
まずは、自分の周りが平和であるようにつとめること。
家族でも、職場でも地域でも。
それぞれがお互いに感謝し、理解し、協力しあえる関係であれば
争いにはならない。
笑顔で日常を過ごすことができること。
これが、平和の第一歩だ。
誰かを憎んだり、疑う前に、相手を知り、理解し、認め合う。
すべてはそこからだ。
相手と通じていれば、分断にはならないはず。

81年の式典が行われている最中も、戦地では緊張関係が続いて
いる。
これは一体?

まず自分は、身近な平和を実現すべく、生きる。
そして、リーダーと言われる人たちは、利他の心をもって
世界をつなぐ強いメッセージを発信しなければ。

そのために、記念日があり、式典があるのだ。
形骸化しないように。
そして、まずは日本中が、この原爆記念日に注目するように。
そこからだろう。

まもなく長崎でも行われる。
現地には行けないけれど、心はそこへ。
一緒につらい経験をされた皆さんに心を寄せたい。

平和のためにできること。
自分事として考え、やれることをやりたい。
やらねば!

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どうせ生きるなら!

同じことをやるにも、にこにこ「喜んで~」といって
楽しみながらやるのと、いやいやしぶしぶとやるのでは
まったく時間の過ぎ方も、充実感も違ってくる。
そして、どうせするなら、相手に「ありがとう!」
と言ってもらえる方が、自分もうれしい。
だから、どんなときもそんな思いで、何事にも
向き合いたい。
毎日をそんな気持で過ごしていくと、
「どうせ生きるなら!」ということに行きつく。

どうせ生きるならば、
好きなように、
やりたいことを、
自分らしく
生きればよい。

そして、どうせ生きるなら、
今日も良かったな~と
思える毎日を生きたい。
そして、どうせ生きるなら、
1日をしっかり生き抜いて
毎日成長を続けたい。

そして、
どうせ生きるなら、
愛され、
「ありがとう!」
と思ってもらえる、
そんな人生にすること。
そうなるように、意識して生きること。

前向きに、頑張っている人と
話していると、自然とそんな気持ちに
なれるもの。

今日も暑いけれど、みな同じ。
それでも与えられた貴重な時間だ。

どうせやるなら、めいっぱい!
愛と元気をシェアできる1日にしたい。

と、平和だからこそ言えるありがたさ。

今日は広島原爆から81年目の日。

どうせ生きるなら。と言えるだけ
幸せということを忘れないでいたい。




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内緒の金庫

「誰にも言ってないけど」とか「ここだけの話にしておいてね」
などの言葉を時々いただく。
自分に打ち明けられることは、信頼の証しでもあるため、
取り扱いを十分に気を付ける。
他言はしない、秘密は守る。

気が付けば、そんな言葉を自分のなかにいくつか保管している。
名付ければ、内緒の金庫か。

言ってはいけないこと、約束したこと、信頼から生まれた
特別の言葉は、ここにそっとしまっておく。
忘れてうっかり口を滑らさないようにしないと信頼を
失う。

聴いてほしい。でも、広げてほしくない。
あなたには知っておいてほしい。
そんな内緒の話。
人は誰かにだけ話すことで楽になれることもある。
共有しておくことで、安心なときもある。

二人の間のトップシークレット。

この話題は、墓場まで持って行こう。

と、そんな会話もある。

誰に何を言うか、言わないか。
この線引きは難しいこともある。
いずれにせよ、うけとった人にとっても
気持よい話題であることが大切。

口は開くものであるが、堅い方がよい。
そんなことを思いながら、金庫の鍵を
締めておく。

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あの人もがんばっているから!

ふと、夜中から起き出して、仕事をはじめている弁当屋の主人を思い出す。
もう20年以上のおつきあい、弟のような存在。彼が20代の頃からだ。

人様が寝ている時間から、都会で働く人たちの元気の素を毎日作り続けて
いる。その努力がお客様を呼び、行列ができる店として有名になった。

自営業は自分ががんばるしかない。
未明に仕事をしながら、彼のことを思い出す。
こうちゃん、今日も元気かな・・と。

また、暑い朝から畑に出て、農作業をしておられる人たちを
見かけると、偉いなあと頭が下がる。
暑くても、自然と向き合う仕事をされる人。
がんばっておられるなあ。

新潟からのメールが届くと、ああ、あっちでもがんばっているなあ。
えらいなあ。

こんな風に毎日、いろんな人ががんばっていることを思い、
自分も!思い、背筋を伸ばす。

熊本地震で被災された方も、酷暑のなか、がんばっておられる。
その苦労に比べたら、自分は何でもできるではないか。
とそんな風に、思えてくる。

みんな、それぞれ置かれた環境のなかで、ときにはくじけそうに
なりながら、それでも頑張って生きている。

生きていれば、それぞれいろいろある。
何もない人はいない。
それでも、人のせいにせず、周囲に感謝をして、汗を流し、
心を込めてがんばっている人には心から共鳴する。

どんな仕事でも、どんな活動でも、誰かのために
頑張る人は、輝いているし、美しい。

と、今朝、改めてこうちゃんのことを思い出す。

がんばれるときに、がんばらなくちゃね!
今日は、同じ東京の空の下で、がんばろう!と。







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これで終わっていいんかい。

ピアノを弾きに行くまでに1時間以上をかけての移動。
その時間、距離は別段遠いとも思わないが、
この暑さには、めげそうになる。
出発するまでに、相当の気合が必要になる。
「今日は、行くぞ!」
始発の電車を目指して出発する。
いわゆる「朝レン」である。
そう、学生時代の朝レンと思えば、自分だけ怠ける
わけにはいかない。

正直、次のコンサートまで日があくと、わざわざ
練習に行くのは少し後回しになりがち。
それはよくない。毎日でもと思うが、
わざわざ往復二時間半の移動を毎日は難しい。

とにかく行けるときは行く。
ピアノに向かってしまえば、たちまち来た
苦労は吹っ飛ぶ。別世界になる。
暑さとの格闘は、自分との格闘に変わる。

少し怠けると、指の動きは正直、劣る。
バレリーナとピアニストは毎日練習をしないと
いけない。と子供の頃にたたきつけられたのに、
今は全く実行できていない。

もどかしい指の動きに、つい、
最近見た、若手の演奏家のなめらかな指の動きを思い出し、
悔しい気持になる。
毎日何時間も練習している人に比べたら、なんだこの演奏は。

「こんなんで いいんかい」

自分に言う。いいわけはない。

暑さが怖く、長時間の演奏もままならず。
気温が上昇するまでには、また移動せねば・・・。
そっちも気になる。

「こんなんで、いいんかい」

自己否定をくりかえしながら、それでも
しばらく弾き続ける。

ああ、もっと集中してゆっくり弾きたい。
早く、秋になってほしい。
と練習不足を、季節のせいにしている。

弾きながら、もし、ここで地震がきたら・・と
想像した。
ピアノは永遠にあるとは限らない。
地震が来たら、壊れてしまうかもしれない。
弾けなくなるかもしれない。
「こんなんで、いいんかい」

よくない。
でも、やっぱり暑さに勝てず、ほどほどで引き上げる。
気になっている楽譜は持ち帰る。
時間があったら、黙読しようと暗譜しようとは思う。

弾かないよりはまし。
朝レンに行くだけまし。

うまく継続練習できるように生活設計を考えねば。

「こんなんで終わっていいんかい。」
いいわけがない。
弾ける曲で甘んじているのではなく、
弾きたい曲がちゃんと弾ける、自分の作品として
仕上げていかねばならない。

暑さとの戦いは、まだまだ続く。
こんなんで、終わらないぞ!
わが道は、課題でいっぱいであるけれど、
無茶せず、ひとつづつ。


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超朝型で行こう!

酷暑と簡単に言うけれど、本当に生きづらい季節。
この暑さでも、夏が好き!という人に、稀に会うけれど
大したもんだなあと尊敬する。
私は、この季節は好きとはいえず、
どうぞ、時計には早回りしてほしいと真剣に思う。
そして、命を削る季節だと思う。
熱中症という言葉が日常語になってから、余計に
夏が息苦しい時間に思えてならない。
唱和の夏とは比較にならない、まさに酷な季節。
とは思うが、被災地の皆様のご苦労を思うと、
しんどいなんて、言ってられないと思えてくる。
暑かろうがしんどかろうが、生きなければならない。

そんなことで、気合を入れて1日を始める。
暑くなるまでに、活動を一通り終えたい。
普段から、かなりの朝型であるが、もっと時計を前に
進める。
電車に乗って出かけるならば始発で出かけ、用事を
済ませて、気温が上昇するまでに、戻ってくる。

ふと、子ども時代の夏休みを思い出す。
宿題は朝涼しいうちに、と言っていた。
そして、毎朝のラジオ体操、当時は近所の公園で
皆でやっていた。
その頃6時台は、まだ動ける時間であった。
セミの鳴き声も、いいサウンドであったが、最近は
その声も叫びに聴こえて、耳に痛い。

今は、すでに31度。朝の4時というのに・・・。
まだ20度台と思っていたが、甘かった。
さあ、急がねば。
今日は気合を入れて、超朝カツを実践しよう。
いつもの朝型をさらに2~3時間前倒しする。

自分で調整しながら、生きるしかない。
しばらく耐えるしかない。人間が生んだ酷暑だから
自業自得と思うと、何とも言えない。

とにかく、超朝型でいこう!

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秋の楽しみを増やす

この厳しい暑さとの戦いは、その先の楽しみを用意することで
乗り越えることができる。

と、8月を迎えた今から、9月後半、その先を今から計画する。
たとえば、会いたい人との再会の約束。
「涼しくなったら会いましょう。それまで元気で!」
「会えるのを楽しみに、まずは夏を乗り切ります!」
の一言で、暑さもやわらぐ。

またファッションの世界では秋冬コレクションもはじまって
いるが、まだ見た目暑苦しいため、涼しくなったら・・とは
思えないが、秋の講座、コンサートなどの予約、準備は
楽しみになる。やる気スィッチがONになるのだ。

早速、受付が始まった講座を予約する。これまで通ってきた
国際報道のプログラムだ。秋講座も開講されると聞いて、
とてもうれしくなり、早速申し込む。
混迷する社会をしっかりみつめ、正しい判断をしたいという
想いが湧き続けているが、この講座は10年以上、自分に
あるべき世界観を描くヒントはもちろん、この世の中で
生きる勇気や持ち続けなければならない強さも与えてくれる。
いくつになっても学ぶことで、人は強くなれる、成長できる。

講師をつとめられるジャーナリストの横村出さんから
うれしいメッセージをいただいたので、引用させて
いただく。

「暑中お見舞い申しあげます。
気候変動も人間の業でしょう、
世界中が異変に包まれているこのごろです。

愚かな人間の業を解説するのも辟易しますが、
それではジャーナリズムは務まりません。
今回は、混迷する世界をお一人お一人へと還元し、
自己決定の一助になれればと思っています。
学びの秋を健やかに迎えられますよう、
どうぞお元気でお過ごしください。」

なんだか、ますます秋が楽しみになってきた。

そう、カレンダーで「ber」が付く月になるまで、
もうしばらく体力、知力の蓄えをするとしよう。

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愛妻家からの依頼。

会社員時代にお世話になってきた方に、コンサートの
依頼を受け、会場見学に伺う。
案内されたのは、100年の歴史をもつ京の町家。
古アートも楽しめ、地元作家たちの展覧会も開催され、
心おちつく交流の場。
今回のコンサートは、依頼をいただいた方の奥様の
命日に行う。同窓会と名付けておられる。
今年は5年目の同窓会。日付を確認すると、父の命日
に近い。しかも同じ年に・・・。
法要をやってから、コンサートをしたいとの依頼。
これは、新しい出前コンサートのスタイルになる。

私が20代のときから、お世話になってきた方の
頼みとあれば。
わがCDを聴いてくださり、涙あふれ、そこから
うまれたアイデアだそう。
奥様との時間を想い出されたののかもしれない。

その奥様ご本人にはお会いしたことはないけれど、
その方を今も大切に思い続けておられることに
心動かされる。

相手をずっと覚えていれば、忘れなければ
その人はずっとそばにいる。生きている。
という言葉を以前、教えてくれた人がいたが、
まさに今回のコンサートの主催者は、
ずっと今も奥様を大切に思い続けている。
こんな愛妻家が世の中にいるのだ。

どんな展開になるかは、これから
考えるとして、私が感じている
その方の「奥様への愛」を何等かの形で
表現できたらと思う。

自分が亡きあとのことは、
誰もわからないはず。
でも、ずっと忘れずにいてくれたら
うれしいだろう。

愛とは、ずっと思い続けること。
打合せをしながら、
主人の優しさが沁みてきた。

こんな夫婦のかたちもあるのだ。

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