時計を止めて・・・。

「時計」という曲が好きで、自分のアルバムにも挿入している。
あれは、男女の愛を時が邪魔しないで・・と永遠なる愛への
思いを歌った名曲で、先日亡くなった菅原洋一さんのレパートリー
にもあった。歌うたび、聴くたびに、時とは時に無情なのかと
思いながら、人生をふりかえったりもする。

もし、自分が余命宣告されたら、または家族がそうであったら・・・。
最近、そんなことも考える。
もちろん宣告もされず 突然に別れなければならないことも
多いが、それでも末期になれば、それなりに覚悟もしなければ
ならない。
そんなときは、やはり、時計を止めて・・・という気持になる。

今のまま、ずっといてほしい。

そんなことはできないけれど・・・。

時計を止めて、時計を戻して・・・。
どんな時代になっても、これだけはできない。
前に向かって生きるのみ。生きたら死に向かって進むのみ。
わかってはいるけれど・・・。



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ステージは自らつくるもの。

仲間が、今日と明日、京都の酒屋の二階で朗読劇を行う。
実は初めてではなく、これまでもワークショップを含め、
何度か朗読劇を行っているが、今回は「お酒を飲みながら
劇を楽しみませんか?」という企画で、酒屋さんでやる
意味があり、応援団のひとりとしては、ようやくの実現で
待ってました!との思い。

この酒屋さんは作家の実家。
120余年続く、京の老舗の酒店。業務用がもともと強いが
コロナ後は個人向けも好調ではあるが、今後は?というところ
で、今回の企画も新たな挑戦として家族総出で応援されている
こともとても微笑ましく、こちらも応援団に力が入る。

と書きながら、いろいろお節介をしながら、本番当日自分は
京都にいることができず、自分の代わりに誰か行ってくれないかと
京都在住の知人関係に声をかける・・・。すると「すぐに行きます!」
と即申込をしてくれる仲間がいて、安堵しながらもっと早く動けば
よかった。と反省もしつつ・・・。
自分は明後日開催の岐阜での演奏会準備をしながら、京都のこの
ステージの盛会を祈る。

ステージは自分でつくる。
「場」があれば、舞台になる。
りんご箱一個も舞台になる。と昭和の時代に、そんな映画の
1シーンもあったような?もしくは美空ひばりの世界かも?
またかのエディット・ピアフも最初は街角で立って歌って
いた。路地がステージ。そんなケースもある。

酒屋の一角。しかもそれが実家となれば、その人にしか
創れないステージになる。
私自身も同じ。自分だけのステージを創ることはできる。
(いろいろ考え続け、今だ構想中ではあるが)

豪華で立派な会場で演奏するだけが、公演するだけが全てでは
ない。
「こんなところでえ?」という発想こそが、必要。
街角に、暮らしに身近なところにあるステージづくりこそ、
これからの時代には必要だ。

ということで、もしこの記事をごらんになり、ご興味ある方は
この京都ほろよい朗読劇「よむのむ。」にお出かけください。
お酒を飲まれない方にももちろん、ノンアルでお楽しみいただ
けるそうです。https://www.blets.net/


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これからも、感謝される仕事を。

神楽坂時代からのおつきあい。もう20年以上になる。
役職が付き始めた頃の出会いだったが、あれから
地道に仕事をして、大きな役割を担うようになり、
それでも地道さは変わらず、組織の縁の下の力持ち
として、コツコツと努力を重ねてきた。
その背中を見て、組織には前に出る人だけでなく、
支える人が必要だということを学ばせてもらった。
ときに励まし、ときに気になる話題で盛り上がり、
仕事について、人生について話せる間柄になった。
信頼関係はコミュニケーションを重ねることで
生まれるのだということも学ばせてもらった。

まもなくその仕事も卒業となる。
その前に、慰労会を・・ということで、
お気に入りの小籠包で、乾杯。
「やっぱ、これが一番おいしいよね」
何度も聞いた言葉であるが、うれしい言葉。
互いが笑顔になる食事は楽しいもの。

ひとつの組織でひたむきにがんばってきた人生。
それを終えて、新たな世界に向かって再スタートされる。
違う世界を見る、これまでの経験をそこで生かすこと
が、社会貢献にもなる。
しんみりした話題はひとつもなく、未来に向かっての
話をして盛り上がった。

「今度、名古屋へいったら、味噌カツの店、案内してよ。
味噌煮込みうどんは…かたいからいいかな。あ、きしめんは
いいか」
と普段着の会話もうれしい。

最後まで責任を果たしながら、新たな挑戦に向かう。
その節目をはたから応援できることは、とても幸せだ。
次のステージでも、このご縁は切れないだろう。
仕事だけでなく、時代をともに駆けた仲間として
その人生を応援し続ける。

あと数日で卒業となる。
その瞬間まで、役割を全うされるだろう。
組織はリレー。次代にバトンを渡す。
人生はまだまだ続く。経験が増えた分だけ
進む道はいろいろある。

「70歳まではがんばろうかなと思っている。」
応援し続け、自分も走り続ける。

東京駅でいつもどおり、そしていつもより少し強く
硬く握手をする。
そして、いつもどおり、手を振る。

どうせなら、感謝される仕事をしよう!
この道はまだまだ続く。

改めて、いい出会いをいただけたことに感謝。
これからも、いい関係でお互い成長し続けたい。
卒業に心からお祝いと感謝の気持ちを届けたい。

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魔法のコミュニケーションツールでお祝い。

撮っていただいた写真を見ると、絨毯にまで花が咲いている素敵な会場。
まもなく、こちらのホテルは改装に向け、閉館してしまうとのことで、
こんな素敵な会場での演奏はこれが最後かもしれない・・・。
その記念すべきステージは、京都太秦にお店を構える洋菓子屋さん
のお祝いの席。

記念イベントのラストプログラムとして、お祝いコンサートを担当させて
いただいた。
この何年かは、福祉施設などでの演奏も増えており、人の一生について、
音楽ができることについて、考える機会をいただいているが、お祝いの席
での音楽は、会場に華を添える、その場を盛り上げる役割。

昨日は、70周年の記念イベントということで、お祝いの気持ちを込め、
その歴史を時代とともにふりかえる懐かしの曲を演奏しながら、
参加されている皆さんにも手拍子やダンスで盛り上がっていただく。
音源も残っていない昔のコマーシャルソングの手探りの再現にも挑戦。
残されていたメロディ譜面を頼りに想像しながら、アレンジという
貴重な経験。一度も聴いたことのない曲の演奏は緊張したが
無事、再現!
唱和40年当時を参加者全員で想像し、懐かしんだ。

そして、最後は、この日のためにつくったオリジナル曲の演奏で、
締めくくる。

登場から、1曲1曲の演奏ごとのあたたかい拍手と会場に広がる笑顔。
一人一人が70年を想像したり、思い浮かべたり・・・。音楽はまさに
タイムトリップができ、皆が幸せな気持になれる魔法のコミュニケー
ションツール。

一緒にいいお祝いができた・・・そんな達成感をいただいた。
演奏後、主催者、ゲストの皆さんから、ありがたい言葉を多数いただき、
無事お役目を果たさせていただいたと安堵。

やっぱり、お祝いの席での演奏はいい。
笑顔を増やす仕事、みんなが幸せを感じる瞬間をつくる仕事。
これからも、ここにこだわって魔法のコミュニケーションツールを
もっともっと磨きたい。

今回のもうひとつの魔法のツールは、
各テーブルを彩った観る手作りのお祝いケーキ。

大切なものをお預かりした。おかげで感動は消えず、今朝も余韻に浸っている。

改めて、ヒロヤさんおめでとうございます!https://www.kyoto-hiroya.co.jp/

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幸せな気持ちを届ける日に!

♪さくっ ふわっ とろっ にこっ♪

この一節からはじまる曲は、シュークリームの美味しさを
現している。

今日は京都で創業70周年を迎える洋菓子屋さんの記念イベント。
そこで、オリジナルのこの曲を演奏する予定。

企業の大きな節目の機会に、演奏という役割をいただき、
改めて思うと感慨深く、ありがたく、当日の朝になって、
緊張感も高まってくる。

少しでも、お集りになる関係者の皆さんが、このひとときを
佳き記念としていただけるよう、音楽がその一助となればと
思う。

創業から70年とは、改めてスゴイと思う。
京都には百年企業も多いが、ケーキ屋さんの歴史は戦後の
経済成長とともに誕生、そして発展、今日にいたる。
皆ががんばってきたあの時代、家庭のだんらんを楽しみにした
あの時代に、プチ非日常の幸せを届ける身近な存在として、
愛されてきた。
私自身も、この時代に育った一人として、ケーキ屋さんへの
憧れは今も変わらない。

強い思いがあってこその、この歴史。
創業者の思いを支え続けたご家族・従業員の皆さんに
心からお祝いを申し上げたい。

これからも、幸せを地域に、日本に、そして世界にも
伝え続けてほしい。

そんな思いを抱きながら、今日も京都へ。
心を込めてお祝いの気持ちを伝えたい。https://www.kyoto-hiroya.co.jp/

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曲が先か、歌詞が先か・・・。

ある地方紙を見ていて、動物園のテーマソングをつくるらしく、
「作〇募集」という見出しをみつけ、「これは!」とすぐ
その記事を読んだが、やめた。作詞のみの募集であった。
作曲はある著名な方がされるとのこと。

曲づくりは、歌詞が先か、メロディが先か。
と問われたら、自分の場合は、まず最初にメロディーあり。
でも、入れたい言葉はいくつか既に頭の中にあることが多い。

いい旋律が生まれて、カタチになってきたところで歌詞を
つける。メロディがあって、そこに言葉をはめて、整えて
いく。
曲と歌詞を同時につくっていくが、最初の発想は音楽からだ。

これをテーマにしたいと思って、あれこれイメージしている
と、ふと浮かんでくる。

ある音楽家の方が、「曲はあるとき、降りてくるんですよね」
と言われていたことがあるが、まさにそうだ。
私の場合は、歩いている時、信号待ちの時に降りてきて
それをすぐ録音する。そこから曲作りがはじまる。

ということで、歌詞が先にありきだとどうなる?
歌詞があっても、メロディにあわせて、見直したり一部編集
しないと、字余りや、調和がとれない箇所も出てくると思うが、
ま、人によってやりやすい方法もあるので、好きなやり方で
良い。ただ、今回は歌詞だけ募集ということで、断念。
またいい機会があれば・・・。

話は変わるが、最近、「シュークリームの歌」をつくった。
楽しい曲、美味しそうな感じ、幸せが伝わる曲にしたいな・・
といろいろ思いを巡らせ、カタチにする。

曲をつくるときには、
その曲で表現したい世界をまず思い浮かべると、その世界での登場人物が
現れ、メロディが頭に流れてきて、物語ができる。
そこから歌詞が生まれる。
やっぱり、私の場合は、まず曲ありき。

その前に、思いありき。こんな思いを伝えたい。
ここからはじまる。

その曲は明日が初お披露目となる。

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愛に恵まれて、この上なく。

最近、これまで歩んできた日々をふりかえり、その
時代時代を思い出すことが増えている。
とくにさまざまな音楽に触れると、そこから回想が
はじまる。

気が付けば、お別れしなければならないことが増え、
お世話になっている人とも、いつかは
会えなくなるのだという現実が、過去をみつめる
きっかけになっているのかもしれない。
両親をはじめ、上司、先輩・・・・。
返事のない携帯電話、メールアドレスは消去せず
そのままにしてある。

半世紀以上生きてきて、人生も後半にさしかかった。
おかげさまで、本当にいろんな出会いをいただいた。
飛行機の飛行マイルは1ミリオンをとうに越えて、
地球を何週も回ってきているようだ。
その距離はどうでもいいが、その移動で生まれた出会いが
人生を豊かにしてくれた。

公私にわたり、本当に多くの方にお世話になり、とても
優しくしていただいた。
数えきれないほどの優しさをいただいてきている。
目を閉じると、世界中で出会った人、身近なところで
ともに時間を過ごした人達の笑顔が次々と湧いてくる。
みんな、どうしているかな?
また、いつか会えたらいい。
ふりかえれば、楽しいことばかり、うれしかったこと
ばかり。
もう会えない人たちのことも、こちらが覚えている限り
その絆は変わらない。

愛こそ、人生で一番重要なこと。
お金にも、何にも代えられない。

今のところ、本当にありがたき愛に支えられ、
幸せを感じながら、生きさせていただいている。
このままずっと進んでいけるように。

愛に包まれて、本当にこの上なき、幸せなわが人生。

と思うほどに。
いただいた愛をこれから返しにいく。
それがこれからの人生。
今日も愛ある1日を。

この上なく幸せな人生だと思えることに
幸せを感じる。
不安な世の中でも、そんな気持ち次第で、
人生は良くなる。


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バラードな人生を生きたい

「バラード」という言葉は、子供の頃から知ってはいる。
大人のイメージがあるため、背伸びしたような感じで、
憧れをもっていた。
クラシックではショパンなどが有名であるが、中世フランス
などで歌われた抒情詩のスタイル「バラッド」。それが
バラードのルーツとも言われている。詩の世界はよくわから
ないが、韻を踏む形であったようなので、音楽に近い表現だった
のでは?と勝手に想像するが、とにかく抒情的、感情豊かな
表現の形式が、広義のバラードではないかと思っている。

とくに愛を表現する詩的な、美しい旋律とリズムを聞かせて
くれる・・。私にとっては、そこがバラードの魅力。

もちろんショパンのバラードも素敵であるが、難しい
技術が必要な音楽だけでなく、日本の歌にも素敵なバラードは
多数ある。
私が好きな歌のジャンルのひとつは、まさにバラード。
もちろんジャズも、シャンソンも、ファドも、時に演歌も
いいが、バラードは最近、心に沁みる。

なぜか、聴いていると、その情景がくっきりと浮かんでくる。
まるで映画を見ているような、もしくは自分がその世界に
いるような、主人公になったような気持になる。
情感豊かなメロディとスローなテンポで刻まれる伴奏が
自然と心の中に入ってくる。

幼い頃、若い時代には、バラードの曲の歌詞をよく聞き、
意味を理解して歌を歌うということは難しかったが、
今は違う。
メロディに乗せ現れてくる言葉ひとつひとつを
しっかりと心に刻むことで、情景が浮かぶ。
そして、物語が見える。

そんな世界を届けてくれるバラードが
とても気に入っている。

とくに、昭和40年代に爆発的にヒットした「雨のバラード」。
あるきっかけで、ここのところ、集中的に聴き、覚えるように
している。
ああ、こんなにいい曲だったのかと、何十回も聴きながら
自分なりにドラマを楽しみ、感動している。
湯原正幸、尾崎紀世彦の違う声質で、違う場面が
浮かんでくるから、歌手と言う表現者の仕事も
奥が深い。
また湯原正幸の現役ぶりも見事で、歌手とはカッコよく
なければならない、そして人々に夢を与える職業なのだ
ということを教えてくれる。
老いを感じない声も、歌いっぷりも素晴らしい。
そして、布施明が歌うバラードもとても心に響く。
言葉を大切に紡ぐことが、バラードを歌うコツなのだと
学ばせてもらっている。

バラードは人生の物語を紡ぐかたち。
ぜひ、バラードが似合う人生にしたい。

人生に、美しい物語を残したい、刻みたい。
と思う年齢になったのかもしれない。

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内側から沸き起こる仕事を

町の洋菓子屋さん。
家族や地域の人の力を借りて、自分たちの腕と感性と
人柄と地域との関係性のなかで、育まれる仕事。
そんなイメージをもっている。

一方、規模を拡大し、大量生産になっていくと、
手作りでは対応できず、モノづくりは「製造」となり、
機械化されていくが、
そうでなく小さな規模であれば、経営者の思いを
お店全体に、商品ひとつひとつに行き渡されることができ、
納得のいく仕事ができる。
そういったお店での手作り商品は、本当に美味しい。
職人の魂が、ひとつひとつのお菓子に込められているから。

とはいえ、それをずっと長く続けることは容易ではない。
並々ならぬ、努力があってこそ、お店を続けることが
できる。

今回、地道にお菓子づくりをされてきた企業さんの
周年のお祝いの席で、演奏をさせていただくことになった。
偶然の再会からそういう展開になり、今となっては、
奇跡的な話である。
再会して直後の会話で、「うち来年70周年なんです~」
との一言から、いろんなことが動き出した。
気が付けば、お祝いの曲でも・・・と思い、準備をする
自分がいる。

内側から湧いてくる仕事。
こうしたらいい。こうしたら喜ぶのでは?ああしたら??
と、自分の中でふつふつと湧いてくるものを、
うなりながら、カタチにする瞬間に、クリエイティブの
歓びを感じる。
パソコンやタブレットの前で、顔も見たことのない相手に
問いかけて、すぐに出てくる答えを待つのとは違って、
生みの苦しみがある。
そんな仕事がやはり好きだし、ケーキ屋さんの仕事も
同じだと思う。

内側から沸き起こる気持ち。誰かのためにと
思う仕事。
その「誰かのために」は結果、自分の歓びにもなる。

生みの苦しみがあるからこそ、できたときがうれしい。
喜んでもらったら、尚幸せ。

今こそ、内側から沸き起こる発想を大切にしたい。
そのために、自分の中にいっぱい引き出しをもって
いなければと思う。
自分の経験がたくさんあってこそ、発想やアイデアは
湧いてくるのだから。



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抗う人、流される人。

先日、面白い会話に出会う場面に遭遇した。
「マーサさんは、抗う人ですか?
 私は、流される人ですが・・・。」
とても面白いと思った。
その人は、世の中に何か新しいモノが出てくると
すぐにそれを使ってみるタイプのようだ。
私からすると、器用で、素直な人だと尊敬する。

自分の場合は、何か新しいツールや技術が出てくると
どんなものであるかは知りたいが、すぐには手を出さない。
これは本当は、大丈夫か?
メリットとデメリット、作用と副作用
の両方を見て、納得しなければ使わない。
手段や方法よりも、目的や意味を問うことを優先する。
と、そんな傾向がある。

みんながどんなに、これはいいと言っても、
ちょっとおかしいと思ったら、距離を置きながら
観察し、様子を見ることから始める。
俯瞰しながら、時に懐疑的でありたいと思っている。

先日ある会社員の方との会話で、「自分は多数決は好きではない」
という声を聴いて、自分より若い世代の人のなかにも
そういう人もいるのだと、頼もしく思った。
どんなときにも少数派はいていいし、いないと
いけないし、時に反対の意志を示すことも必要だ。
もちろん示し方、表現方法は考えなければいけないが。

流される人よりも、いい意味で流す人。
そして抗うのではなく、見極めができ、
自分なりの考え、判断ができ、行動が興せる人。

そんな人になりたいと思う。
ここに向かうには、生きる時間と多くの経験があってこそ
の長い道のりかもしれないが。

若いうちは、ある程度、流される時間もあってもよいのかも
しれない。でも、おぼれないように、思わぬ方向へ流されないように
「気を付けて」、とは言っておきたい。

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