色なき売り場が想像できるか

大手メーカーが商品パッケージをモノクロにするというニュースは
余りに衝撃で、いかに今回の中東危機が恐ろしいことになりそうか
について、多くの人が改めて感じ、考えるきっかけになっているのでは
と思う。
この2~3日、会う人会う人と話しても、必ずこの話題になる。
たまたま乗ったタクシーのドライバーさんも、今回のことで、
大変困っておられる様子であった。もう客足が遠のいているとのこと。
とくに経営者の利用変化が著しいとのこと。
先が見えないから、会食もしない。タクシーも乗らない・・とのこと。
「わたしたちの仕事は景気のバロメーターですから」
と語られた言葉が、ずっと頭から離れない。

この先の景気の後退は明らかである。情勢を見越して、
業績予想を立て、公表したとたん
株価に影響が出たという例も少なくない。
ある人からは、コロナ以上に深刻な事態になる。とも言われた。

コロナのときは、人との距離、コミュニケーションの取り方が
大きな問題であった。
今回は、モノがつくれない、というこれまでにない経験。
モノが売れないのではなく、原料がないから作れない、仕事ができない
ということだ。

包材関係や原材料に関わる業界は本当に深刻だ。
お菓子のパッケージがもしも、全部モノクロになったら・・と
思わず想像してしまった。
売り場は、カラフルな色があってこそ、購買意欲を搔き立てられる。
色なき世界は・・・・。

視覚でイメージを掻き立てられ、楽しそう、美味しそうと思って
商品に手が伸びる・・・。カラーの中にモノクロがあれば、それはそれで
映えるのだけれど、全部がモノクロでは・・・。
昔の映画じゃあるまいに・・・。
まさか、売り場がモノクロの世界になるとは 信じたくないけれど、
もちろん、モノトーンを売りにしているブランドもあるけれど、それは
意図的なクリエーションであって、
やむなきノーカラーとは意味が違う。

タクシーのドライバーさんの悲痛が耳から離れず、なんとか1日も早く
安心して仕事ができる状況に戻ることを祈りたい。

工夫して現状を乗り切って、いきいきした世界を取り戻さねば・・・。

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七転八起は痛い?

先日 同世代の知人と久しぶりに会った際に、顔にばんそうこうが
あり、どうしても気になって「どうされました?」
と尋ねると、「いやー、自転車乗ってて、こけたんですわあ」
とのこと。自転車でか・・・。思わず顔をしかめた。
早く完治されるようお見舞いをお伝えした。他人事ではない。
ちょっとした不注意で、躓いて怪我をすることは絶対にある。
とくに、20代の頃とは反射神経も違っているので、絶対に気を付けねば。
と、日々思っているにも関わらず・・・。

今度は自分が転んだ。いつものごとく、いろいろ荷物を持ちながら、
そして、時々立ち止まってメールを確認しながら、あれこれ考えていて、
足元を見ないで歩いていたせいで、気が付いたら転んでいた。
いやー、今思えば、そこに車が来なくてよかった。
転んで、車にひかれたら、恥ずかしいどころでなく、命が危ない。
そして、顔を打っていないのも、不幸中の幸い。

起き上がったら、膝が擦り向けていた。いやー、どんくさい。
すると、後ろに、知らないおじさんが立ち止まっていた。
「だいじょうぶですかあ。今日、女性が転ぶのを見たの二人目」
と言ってきた。わらうセールスマンのような感じの人で、それで?
と思いながら、「大丈夫です。ありがとうございます」と言って
そのまま近くの薬局へ駆け込んだ。親切な説明をいただき、応急処置。
おかげさまで、大事にはいたっていない、大丈夫、良かった。

しかし、転ぶということには、改めて細心の注意が必要だと
猛省。
スマホの存在が、安全歩行を妨げている。いや、自分が悪い。
歩くときは歩く。何かあれば立ち止まる。
考えながら、歩くもいいけれど、やはり足元を見ないと。

七転び八起というが、転び方を誤ると、起き上がれないことも
ある。

と、幸い かすり傷程度で収まったことに感謝し、当たり前の
ことを改めて見直してみたいと思う。
歩けることに感謝して、注意深く。

今日の最初の一歩に感謝したい。

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心のアルバムを開く

メールを送る相手、先日お会いした人、久しくお会い
できていない人・・・。
いろんなタイミングで、それぞれの顔を思い出す。
今日は元気かなあ、どうしているかなあ。
日々の中、ふとしたきっかけで、目の前にいない
誰かを思い出すことも少なくない。
顔が浮かび、その頃が浮かぶ。
まるで動画の再生のように。

最近、名刺の整理をしていたが、その間にも
懐かしい人々の1枚をみつけ、交流していた
頃を思い出し、急に会いたくなったりする。
でも、すでに退職されている方もおられて、
やむなくその名刺を処分する。そのときは、
糸がきれたように寂しい気持にもなる。

スマホで次々と写真を撮影し、クラウドで管理
する今日。撮った多くの写真たちを見直すことは
少ないし、あんなに熱く撮影したわりに、どんどん
削除する・・・。
それはそれでいいけれど、
心の中には、大切な思い出をアルバムとして
しまっておきたい。

そして、時々、思い出したい。
とくにもう会えなくなった人のことは、
そのとき、心のアルバムが頼りになる。

と、書きながら、
その昔、
スポンサー名がついた、「歌のアルバム」
という番組があったことを思い出す。

アルバム。
大切なものが入っている。そんな存在。

過去をふりかえり、自分の生きた道を
確認する手段のひとつか。

心のアルバム、大切にしたい。



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新たな隣人か同居人か?

今やネットを使わない日、ググらない日はない。
本当は使わない日をもちたいが、よっぽど意識しないと
難しそうだ。
とにかく手軽にすぐに欲しい情報を得られることは、
まさに「朝飯前」のこととなった。

家族や親しい人との会話でも、
「ちょっとチャッピーにきいてみるわ」
「チャッピーがこういっていた」
「まず、AIにきいてみたら?」
とそんな言葉が増えていないだろうか?

チャッピーって誰や?と最初は思ったけれど、
すっかり愛称をもって活用されている。
その存在感はすごい。
知らない間に隣に引っ越してきた人か、
急に一緒に住み始めた賢いペット(ちょっと違う?)か。
とにかく、いつもそこにいる。

彼なのか、彼女なのかわからないけれど、
この存在は、瞬時にいろんな課題を解決してくれる。
物知りなので、一応、聞いてみる価値はある。

最近、長年入っていた保険や使用してきたクレジットカードを
見直す際に、このチャッピーの情報が参考になったという。
また、何かを相談すると、悪いようには言わないので、
相談しやすい、と言う人もいる。

すっかり隣人として、家族の一員として、
存在しはじめたAI。
孤立や孤独の解消にも役立つのかもしれない。
でも、それでいいのか人間社会?

と思いながらも、ついついググる手を止められない。

これでいいのか?
いやいや・・・。

この葛藤はこれからも続くのか。

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なくなると聞くと・・

前にも何度も登場した話題であるが、今回も再び。
人は、客は、商品や店舗はずっと存在するものだと思い、
気を抜いてつきあっている。
必要なときに行けばいい。いつでも、ある。
いつでも買うことができると、思い込んでいる。

でも、ひとたび、店が閉店と聞くと、あわてて
店に駆け込み、閉店まで多くの人が足を運ぶ。
そして、最終日に別れを惜しむ。
そんな経験をこの数年で、何度も見てきた。
特に百貨店の閉店は、何度も目の当たりにして
きた。
これはある程度、閉店告知が早くされるため、
あきらめをもって、閉店までの間、お客も
見送ることができる。

でも、商品の場合はある日突然なくなっている。
きけば、もう終売したのだと聞かされることも
珍しくない。
「へ?あれ、好きだったのに~。」
もちろん数ある商品の1アイテムが切り替わる
ことはよくあることであり、また改善されて
リニューアルされることは良いことであるが、
お客は事前には知らないため、好みの商品が突然
なくなってしまったことにショックをうけ、
他の店に行けばまだ手に入るだろうかと、
探し始めるが、もうどこにも在庫はない・・と
再びショックをうける。

もちろん、時間が経てば、あの商品はこれに
変わったのだと理解されるであろうが、
好きな商品がなくなることは、ファンにとっては
寂しいこと。

なくなるぐらいなら、わかっていれば、
もっともっと買っておくべきだった。
と、そんな気持ちにもなる。

「もうすぐ  なくなりますよ~。」
「もうすぐ、生まれ変わりますよ~。」
この伝え方は、タイミングも大変難しい。

惜しまれる商品は、作り手にとって
幸せかもしれない。とも思いつつ、

好きな商品はなくならないように、
せっせと消費し続けないと・・・。

なんでも永久にあると思ってしまう、
あって当たり前と思う。
お客はいつも、勝手なもの。

改めてマーケティングコミュニケーションの
難しさを思ったりする。


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そこそこ満足、の幸せ。

原材料、光熱費、物流費、人件費の高騰・・・。
あらゆる業種、業界で良質な商品やサービスを安定供給し
続けることが大変困難、かつ先行き不透明という、かつて
ない恐ろしく不安なこの頃。
不安という気持ちは、先が見えないことから生まれる。
規模に限らず、どの企業の経営者にとっても、本当に
悩ましい事態。いかに生き抜くかについて、知恵を絞り
勇気をもって、自ら旗を振り続ける。本当に頭の下がる
役割である。
そして、不安を感じながら、日々仕事をし、家族を養い
暮らしている人々。
それぞれ葛藤がある。
みんなで乗り越えねば!一体感こそ、今の世の中には
求められる。分断は不要。

先が見えなくても、今を楽しく生きよう!と思うには、
今できることで、小さな楽しみをみつけること。
家族で、職場でささやかな歓び、共有のひとときを
もてることで、明日に向かってまた動き出せるのでは。

と、自分自身、これまでの反省も含め、
小さい発見、感動を意識しながら、生きたいと思って
いる。

そんななかで、
日々の暮らしで一番大切なことは、食べること。
生きる限り食べなければならない。毎日である。
「食」はその字のごとく、人に良いこと。
人を良くすること。
からだにも、心にも、暮らしにも良い食を考えたい。
からだにいいモノ、健康になる食品を取り入れたい。
なんといっても、美味しく食べたい。楽しく食べたい。
これは誰と食べるか・・・が大きな要因。

お金をかけなくても、満足できる食事は可能だ。

久しぶりに大変お値打ちなイタリアンレストランに
出向く。近場のSCの中にある。
そこは全国チェーンでファーストフード並みに全国に
店舗を構えているが、長らく利用したことがなかった。

大きく括れば、ファミレスであるが、イタリアンで
ある。
利用してみようと思ったのは、店先でみたメニューに
刺激されたから。へ?エスカルゴやムール貝やワイン
が今も、こんなありえない価格で?
どんなものを提供するのか、知りたくなった。

金曜の夕方。平日ではあるが、休みの前日ということ
なのか、ほとんど満席で驚いた。
同じSC内に入っている和食の店舗などはガラガラで
あるのに、この店だけが満員。
休日になればもっと混雑し、空席待ちも当たり前かも
しれないが、平日なのに満席とは意外!
そして、家族連れ、ビジネスマン、外国人と客層も
幅広い。三世代の人もいた。

オーダーはもちろんテーブルからスマホで。
とにかく料理が安すぎて、多めに注文しすぎても
罪悪感はないぐらい。
もちろん もったいない食事をしてはいけないので、
食べられる量を考えて、オーダーする。
ホールはディナータイムでも3名ほどのスタッフで
切り盛りする。せっせと料理を運び、皿を下げる。
かなり作業もシンプルに見える。
徹底的に計算されたオペレーションでこの価格が
実現できているのかと、店内すみずみまで、
感心することが多い。まさにワンダーランド。
そして、安価な料理を家族全員でわいわい言いながら
食べている風景を見ながら、いろんなことを思った。

エスカルゴも、ムール貝もそこそこ。
そりゃあ パリのレストランでいただく料理とは
食材も、調理も、食器も、雰囲気も、すべて
違うけれど、この価格ならば、満足。という気持に
なれるほど、ほど良い質。

ピザも200円台からとびっくりプライス。
もちろんサイズもトッピングも特大ではないが
種類も選べて、そこそこに楽しめる。
隣のテーブルでは、パスタをとりわけして、家族で
たいらげる光景もあり、
いろんな人が、それぞれこの店へきて、財布にやさしい
食事を楽しんでいることを体感する。

同じエスカルゴでも、ピザでも、パスタでも、ワイン
でも、業態により、まったく違う。
それは当然であるけれど、お金をかけなくても
それなりの料理を楽しむことはできる。
もちろん、からだにいいものを選び取っていく
必要はあるので、安心できる店であるかの事前確認は
しなければならない。

たまに行くファミレスではなかなか満足できるメニュー
に出会えないけれど、このイタリアンは、相変わらず
の企業努力を感じる。
何十年も前、神楽坂の店に何度か通ったが、
今も、元気に全国で営業を展開している。
たえまない企業努力をしているのがわかる。

値段が違っても、食器が違っても
同じピザ、同じパスタ。
もちろん違うが、そこそこ美味しい。という世界を
知っておくことは必要だ。

いろんな家族の笑顔を見られたことも大きな
収穫となった。

同じピザでも、違う。
でも、そこそこ満足できる。
日常では、これで十分。

これに限らず、
小さな歓びをみつけ、日々を楽しく、生きられたら!
それが一番の幸せ。

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心の天気予報。

今週もあっという間に、終わっていく。
1週間前をふりかえってみると、今と違う心持ちで
過ごしていた。そして、あれから数日、毎日いろんな
場所で人に出会い、交流を経て、気が付けば、
先週とは違う自分がいる。

毎日、朝天気予報を見て、今1日の動き方を参考にするが、
天気は常に変わる。晴れる日も、雨降る日も、暑い日も、寒い日も。
常に変化のなかで、生きている。

同じように、心も変化しながら、生きている。
誰に会ったか、どんな会話をしたか、どんな時間を過ごせたによって、
心も天気のごとく 毎日変わっていく。
重くなったり、軽やかになったり・・・。

この1週間、顔を合わせ、話ができた人は、何十人。
オンラインでのコミュニケーションを加えたら、もっと増える。
そのひとり一人との時間により、自分の心も日々変化する。

あの人に会って、こんな言葉をいただいた。ともに笑った。
話しをきいてもらった・・・。思い起こすと、この1週間も
とても幸せな時間をいただいているなあと、感謝の気持ちが
あふれてくる。つらかったあの日が遠い過去・・・となる。
動くことが、人と会うことが、自分に変化をもたらすのだ。

心を天気にたとえてみる。
予報はなかなかむつかしいけれど、今日は曇りのち晴れ。
と、そんな風に1日1日を振り返ると、どしゃ降りの日があっても、
晴れの日も来ると思えてくる。
今日は降りそうだな。と思ったら、傘を用意する。
コミュニケーションの備えをする。
こんな風に言葉をかけてみようか、あれを話題にしてみようか・・
とコミュニケーションが傘になることもある。

心の天気は、常に周囲との関係で決まり、変化する。

今日を心晴れやかに、さわやかに過ごしたい。


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共感と育む時間。

最近、30年以上おつきあいいただいているクリエイターの方たちと
久しぶりにお会いする機会を得ている。
頻繁に会うことはできないが、1年に何度か コーヒーでも飲みながら
仕事のこと、それ以外のこと、時間を忘れて、たくさん話す。

一緒に苦労してきた仲間とは、不思議なもので、わかりあっている
安心感がある。嬉しいときも、悔しいときも、励まし合って仕事を
してきた。
プロとして受けた仕事をやりきる。信念をもって進む。
自営業として、30年もやり続けている人たちとは、仕事に対する
姿勢も共通しており、妥協しない点も同じ。

いっぱい語り合った後は、いい笑顔でわかれる。

ほっこりしたり、すっきりしながら、帰る足どりも軽くなる。

長くつきあえる人とは、共通点が多いと思う。
人生への向き合い方、仕事への姿勢、プロ意識・・・。

そして根底に、揺るがぬ信頼関係がある。

20代のときの出会いを思い出しながら、
これからもずっとお互いに成長しながら、人生を楽しめたらと
思っている。
あの人がいるから、この人が自分も生きられる、がんばれる。

共有よりも、共感。を心から大切に。


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悔いなきコミュニケーション。

どうしても、言っておきたいこと。
言わなきゃいけないこと。
そうでなければ、あとで悔いが残る。
そんな場合は、ちゃんと伝えた方が良い。
ちょっとの勇気や、ダメもとのことはあるかもしれないが、
一度きりの人生、そんなことは一度や二度、いやもっと
あってもいい。
もちろん、相手のことも考えた上で。
伝えたいことがあること自体が、生きている証拠。

一方、これは言わない方が良いと思えること。
そういうことも時にある。
自分の胸にそっとしまっておく。
あるいは、そっと心の消しゴムで消しておく。
これも、相手のことを考えた上で。

今日はこれで良かっただろうか?
毎日、その日のコミュニケーションをふりかえってみる。
毎日、小さなことの繰り返し、積み重ね。
それで1日が過ぎていく。
コミュニケーション不要の日は、ほとんどない。
人と関わると、
恥ずかしいこともあれば、うれしいこともあれば、
まだまだと思うこともあれば・・・。
いろいろあれど、とにかくしっかり相手と向き合うこと。
人と人の間をつなぐものが、コミュニケーション。
生きる限り、ついてくる。

誠実に、自分に素直に。
悔いなきコミュニケーション。

今日もいっぱい人に会う。
すべて笑顔になって、限られた時間をともにしたい。

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だんだんわかる。

若い時は好きでなかった、興味がなかったものが、
大人になると、今になると、しみじみ良さを感じる。
そんな瞬間は 何か新たな発見をしたようで、
人生お得な気分にもなる。

たとえば、モーツアルトのピアノ曲。
レクイエムは、初めて聴いた高校生のとき、
あまりに衝撃的で度肝を抜かれた。
その後、映画も何回も観たせいか、すっかり体内に沁みこみ、
死への恐怖をもつようになったのは、この曲の影響でもあるほど。

一方、ピアノ曲は、どうもきれいすぎて、軽快すぎて、
人生はつらいもんだと思っている人間にとっては
なかなか入ってこない。
貴族が喜ぶ上品な世界。というイメージで、
自分には関係ない世界?
自称ベートーベン派?の自分には響いてこなかった。
テストの課題曲によく出てきたぐらいで、
好きで弾くのではなく、義務的に練習をしていた。
大人になってから、ほとんど弾かなかった。

ところが、約40余年ぶりにMozartのソナタの楽譜を
辿って、弾いてみる。
なんと、美しいのだろう。あれ?いいじゃん。
鍵盤の上をコロコロと指が舞うような 規則正しいリズムと
よどみのないメロディー。濁った和音はない。
とにかく美しいのだ。
Mozartって、やっぱり天才だったのだ。
若さあふれるけれども、天上の音楽のように別の世界を
感じる。神童だ。まさしく・・・。

と、若い頃は理解できなかった世界が、今はすっと入ってくる。

音楽は時代とともにスタイルを変える。
音楽は世相を反映する。
ベートーベンより少し前に生まれたアマデウス。
世界を知ると、歴史を知ると、その当時の作曲家たち
のことも想像できる。
曲は立体的に、語り掛けてくる。
今回、Mozartとの再会は、とてもうれしい時間となった。

Mozartだけではない。今になってわかるものが増えている。
知られていない曲にも、素晴らしい曲は多数ある。

だんだんわかる。
これは生きる楽しみが増えるということかもしれない。

Mozartに限らず、日本の歌謡曲もだんだんわかる。

音楽は時代とともに、社会とともにある。

これからも、もっと、だんだん!を増やしていきたい。




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