笑顔のお手本。

久しぶりに、保管してあった資料のなかから、フランシスコ教皇が
表紙を飾る冊子が出てきて、しばし、その写真にくぎ付けになった。
なんともいえない、いい笑顔なのだ。
ずっと見ていたくなる、この方の笑顔は本当に素晴らしかった。
もちろん戦争に反対されるときの表情には憂いと厳しさがあったけれど。
でも、笑顔の表情が印象深い。

もう帰天され1年以上が経過するけれど、写真は永遠。
いつでもその笑顔に出会うこともできる。

笑顔。人との対面(オンラインであっても)においては、笑顔
が第一印象であり、最後の印象となる。
人に癒しや、元気を与え、苦痛を和らげることもできる。
不快感を与えることもある。

暑い日も、寒い日も、痛い日も、苦しい日も・・・。
もちろん笑顔を見せ続けるには、
笑顔でい続ける気持の維持も大切なので、努力も必要。
先日、りんごのマークのストアのスタッフが語ってくれた
ように、「いつも見られている」と言う気持ちが必要になる。
でも、気力だけで笑顔は生まれない。
生きてきた道が笑顔を育む。

それにしても、フランシスコさまの笑顔は素敵だ。
表情そのものから、やさしさがあふれているように感じる。
世界の人々の信頼を集めるには、笑顔はそのカギにもなる。

「つくり笑顔」はすぐわかる。
不自然な笑顔は、かえって怖い。

自然に内面からあふれ出る豊かな表情のなかに
笑顔がある。

笑顔は平和の証しでもある。

今しばらく フランシスさまの笑顔を見ながら、その人生を
勝手に想像してみたい。・・・それぐらいは許されるだろう。
アルゼンチンが、いい空気(BUENOS AIRES)での生い立ちから
生まれたが表情なのかもしれない。

人に癒しと優しさを伝えることができる、
そんな笑顔の人になりたい。

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「好き」に、出会うこと。

いろんな仕事をする人を見ているのが好きだ。
その人の人生が見えてきて、気づかされることも
多い。
たとえば、鉄道専門の写真家の旅番組。
各地を巡り、その地域で愛されてきた列車と
その風景との融合の瞬間を狙ってのワンショット。
この人は、旅と鉄道と写真が好きでこの仕事を
されているんだろうということが、全身から
伝わってくる。
旅をしながら鉄道写真を撮り続ける。
何と幸せな仕事だろうと、思ってしまう。
もちろん努力やご苦労あっての今日であろう。
それを越えて、好きな仕事ができるというのは
幸せなこと。

あるブランドの路面店。
東京が本店で、大阪もそれに次ぐ大きさで
品揃え。もう40年以上親しみをもち、
その創業者には心から敬意を表しているが、
今、次の世代の人たちも、熱い支持を集めて
いる。
昔も、今も常にカッコいいのだ。

その店に行くと、本当にファッションが好き、
そのブランドを愛している、経営者を尊敬して
いるというスタッフたちに出会う。
全員そのブランドの商品を着こなし、
モデルとしての役割も担う。
その商品について熱く語る。よく勉強している
と思うのと、本当にこのブランド、この仕事が
好きなのだと思う。
商品を見て気に入れば買う人もいるが、
その人たちがモノだけでは伝えられない
その洋服に込められたコンセプトやストーリーを
お客様に伝えることで、お客の心は動く。
本気で伝えようと思うと、本当にそのブランドや
商品が好きでないと伝えることができない。
最近、会ったスタッフは、まるでその商品を着る
ために生きているかのごとく、であった。
その人が世界観を作り出しているのだ。
これは、好きでなければできない仕事。

また、最近は伝える仕事の勉強として 寄席や
劇場にも足を運び、話し手や役者の仕事を拝見
するが、からだをはって仕事をしている人の
演技、語りは素晴らしく、感動する。
どれだけ練習をしてきたのだろうか。
努力なしで、あの仕事はできない。
苦しくても、絶対に噺家になる、役者になる。
と覚悟をして、地道な努力を重ねる。
そして、ステージに上がり、お客さんにその
芸を披露し、多くな拍手や声援をいただいたとき、
やっていて良かったと思うはず。
その道は長い、好きでなければ続けられない。

わりきってやる仕事の選択もある。
これしかないから・・と思ってする仕事もある。
これはこれで、好きなことをするためにあえて
そういう働き方をする場合もあるだろう。
一方、好きなことを仕事にする。
好きなことが仕事にできるのは、幸せな
こと。

自分という人間が、一生を有意義に生きるには、
「好き」に出会うことが大切だ。
好きなことのために、好きな人のために。

おかげさまで、自分にも「好きな」こと、もの、
人がある。
その「好き」を貫くためには、努力は必須。

好きな人生にする。そうしたい。
いろんな人を観察しながら、いつも、
そんなことを思い続けている。


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平和だから、のことばかり。

たとえば、害虫が出たら、「キャー!」
実はそういうものが大の苦手。その格闘にはかなりの労力。
かと思えば、ケアレスミスでちょっとした怪我。
いろんな細かい失敗や小さな悩みが毎日生まれる。
一難去ってまた一難。
1日は、実にいろんなことがある。

しかし、よく考えたら虫一匹や二匹、ちょっとした怪我や
アクシデント・・・
そんなことは、平和だから大げさに思うだけであって
戦地や被災地を思えば、、、。

こんな小さなことに悩む余裕もないほどに、
毎日、命の危険にさらされ、恐怖の日々を、そして
地域によっては食料もなく、医療環境も劣悪で、
まともな食事もとれない人も・・・
また、地震や大雨で住まいを失い、水も使えず
困っておられる方たち・・・。
明日はおろか今日のことも見えない人たちが
この地球上に、たくさんいる。
そんな方々のことを思うと、自分の毎日は
なんと贅沢なことかと思えてくる。

日常ほどありがたいものはなく、
平和を当たり前に感じられることほど、
幸せなことはない。
小さなアクシデントは、平和の証し。
まさに、「いのちまでとられない」。

でも、明日はどうなるか?
絶対に保証はされていない。
いつ、いのちまでとられる日が来るか・・
わからない。
でも、今は、今朝は平和である。
この瞬間に感謝したい。

人はいろんなものと日々闘い生きている。
生きてればいい、元気ならいい。
それに尽きる。

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どこからでも見られている。

お店で待っている時間があるのは、普段できない観察が
できるという点で、なかなか貴重である。
とくに、良いお店での待ち時間は苦にならない。

りんごのマークのストアに出向く。
デバイスから各種アクセサリーなど商品の展示・販売だけでなく、
修理や交換、そのほかサービスにも細かく対応してもらえる。
事前に予約して店に出向く。飛び込みは空いていれば
対応してくれることがあるが、その場合は待ち時間も長い
ことも多い。

今回は、使っているデバイスに異常が見られ、店に向かった。
予約時間より少し前にいっても受付をしてくれる。
まあ、皆さんIT業界の人というよりも、扱っているものは
違うけれど、スタバのスタッフたちのようなフレンドリーさに、
少し丁寧さを加えた受付。アメリカ企業のスタイリッシュ感に
日本流のおもてなしが加わったような感じ。

受付後は空いているテーブルに案内され、
しばし待つ。この間、店内を見渡す。スタッフの服装、表情、
国籍?(いろんな人が働いておられるが皆さん、日本語が素晴
らしい)、接客の様子、客層、品揃えとディスプレイ。
見ているだけでもちょっと世界旅行の気分になる。
家電のスマホ・パソコン売り場とは違う雰囲気。

そして、注目すべきは警備員さんやお掃除スタッフの方。
店内スタッフはポロシャツ対応が基本のようであるが、
警備員さんは色の違うポロシャツ+長袖Tシャツ、お掃除
の方も、これまた色の違うポロシャツ。警備員さんも
お掃除の方も颯爽と仕事をされている。なんだかカッコいい
のだ。警備員って警備服着てなくてもいいんだ。
それだけで表情も明るく、笑顔も見えたりする。
掃除の方も、きびきびと動いておられて、見ていて
気持いい。

・・・と、いろんな発見があり プチ日常の空間を
楽しむ。

しばらくすると、まず最初に症状をヒアリングするための
スタッフが登場。少しでも早く対応できるように、
待ち時間をうまく活用している。その後担当スタッフが
自分のデバイスの状態を見て対応してくれる。
この間も終始和やかな笑顔で
楽しい会話をしながら、うまく仕事を進めていく。

このお店の接客力はすごい!見てて楽しいしね。
そのスタッフに、そんな話をしたら
「そうですね。ぼくたち、どこからでも見られていると
思って仕事させてもらっていますね」との返事。

その方は、元ドラッグストアの店長さんだったそう。
さすが店長さん経験がある方にふさわしい安定感のある
接客だった。
さすが、りんごのマークの会社は人材教育もぴか一
なのだ。
商品はもちろんであるが、ストアである以上、その人を通じて、
そのブランドを好きになる。

また何かあったら、行こう!と思う。
銀座も大阪も京都も、または外国の都市ででも、
それぞれ訪問し、接客をうけたくなる。

劇場での時間を過ごしたように、軽やかな気持ちで
店を出た。

「どこからも見られている」
この緊張感が接客力向上につながっているのだ。

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「ゴミんなさい!」

冷凍庫は便利だ。
ついつい、何でも冷凍してしまう。
そんな人は少なくないと思うが?
コロナ禍には、冷凍食品の売り上げが増加したが、
あの頃、冷凍技術もレベルアップされ、美味しい
冷凍品が増えた。
周りにも、冷凍商品をつくるプロがいるが、
冷凍庫は今や、電気さえあれば暮らしに欠かせない
魔法の食料箱!といっても過言ではない。


私は本当によく冷凍庫を活用してきた。
とくにグルメなこだわり冷凍食品でなくても
どんどん入れてしまう習性があった。
パン、おにぎり、お菓子・・・。
とくにパンが好きなせいか、ついつい多めに買って
冷凍して・・・。
温めて食べると美味しい。
この生活が日常であった。
ただ、さすがにあまり長く保存すれば商品が劣化したり
冷凍焼けするので、美味しさや安全面からすると
本来の価値はなくなる。

最近、冷凍していたパンを食べて
美味しくない!と思った。
やっぱり、パンは焼きたてに限る!
そりゃ、なんでもそうだ。出来立て、作り立てが
一番だ。

そう思いたち、これまで大切に保存していたはずの
パンたちを、ひとつひとつ包んでいたラップを
葉がしながら、処分・・・。
ああ、これは。とパンひとつにも思い出もある、
あとで食べようと思っていたのに・・というものが
もう美味しくない。

ということで、結局、ほとんどの冷凍食品を
処分してしまった。
気が付けばかなりの量。
包んでいたラップもそれなりの賞。
いずれにしても、なんともったいないことを
したのだろう。猛省のお盆休み・・・。

一生懸命働いたお金で食べ物を買い、
でも一度に食べないで、ちょっとづつ・・
とせっせと冷凍庫に入れ、気が付いたら、
ゴミに・・・。

まさに食べ物たちに、
ごめんなさい。
ゴミんなさい・・である。

もったいないのつもりが、一番もったいない
ことをしている。

多く買わないこと。
食べきりの消費をすること。
ついつい、ついでに。明日の分まで・・と
してきたけれど、さすがに今回の冷凍庫の
在庫処分には情けなくなった。

食べ物を粗末にしてはいけないのに。

その反省から、消費はミニマムに。
そこから出直したい。

それにしても、冷凍庫がすっきりすると
また何か新たなものを入れたくなるものだが、
もう MOTTAINAIは絶対に卒業!

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やっぱ、生のプロに相談!

ある保険を見直そうと今どきなので、まずはAI にも
問うてみる。
すぐ二人称で話しかけてくるあたりが、
勘違いしてしまうポイントかもしれないと思いつつ、
相手が瞬時に出してくる回答は素直に評価。

よくこんなに早く、欲しい情報を出してくるねえ~。
でも、本当にそれがいいのかどうかは、別の話。
AIがいいと進めてくれから買います。とはならない。
AIは考えて教えてくれているのではなく、
あまたある情報の中から探してくれている。

「考える」とは、パスカルが教えてくれたように、
人間に与えられた能力。人間がする仕事。(と、
私は思い続けている)

結局、その後、それ以外にもいろいろ調べた結果、
信頼できる人の紹介で、保険の専門家にコンタクト。
少し電話で話した。すると、
AIが出した答えとは違う答えが出てきた。
AIが教えてくれた案より、選択肢が多い。
また、話して相談すると、コミュニケーションに温度を
感じる。入力だけのやりとりとは、ちょっと違う。

もちろん、最近ではかなり会話もできるAIが存在するので、
複雑な内容にも相談に乗ってくれるのかもしれないが、
やはり人間に相談するのは違う。
伝え方によるので、そこをこちらが考えないといけない。
生のプロに相談すると、言葉のニュアンスも読みながら、
相手が自分の悩みに対して、考えてくれていることが
伝わる。正解をすぐに出すのではなく、少し時間をとって
提案をいただけるというのも、ありがたい。

また、対話による相談にはこんな面もある。
いろいろ話すことにより、相手のことを知り、
聞きたい商品のことだけでなく、それ以外にも話題が広がり
最後は、いい人に出会えたという喜びもわく。
相談したあと、安心した気持になれる。
一緒に考えてくれる仲間が増えたという感じ。
ATとの対話はそこまでできるだろうか?
もちろん個人差があるため、一概にではないけれど
私にとってはこのような印象だ。

とにかく、AIもいいけれど、人との対話がうれしい。
お互いを知る、理解することが目的だから。

簡単に答えを引き出したいのではないから。
じっくり考えて本当にいい答えを得られるのが良い。

当たり前のことであるが、やっぱり、人がいい。

AIとのコミュニケーションは一見容易であるけれど、
課題も多い。もちろん人間とのコミュニケーションも
悩まない日はないため、どちらもむつかしい。
でも、生きるため、コミュニケーションは不可欠だから
自分で学び選び取っていくしかない。

でも、やっぱり生の対話に勝るものはないと思っている。

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書いた文字は「いのち」。

中学生時代、夏の自由研究は、ベートーヴェンの一生を自分なり
にまとめるというものだった。ホワイトノートを用意して、1冊の
本にした。それは今も保管している。
当時は、各家庭に普及していなかったエアコンがあるだけで
毎日通った県立図書館で、そこにあるだけのベートーベンの
本を借り開いて、写真のページはコピーをとり、テキストの部分は
手書きで写しながら、自分なりにまとめた。
今もセミの鳴き声とともに、当時の様子を断片的に思い出す。

ずいぶん、久しぶりな行為であるが、今回少しだけ似たことを
やってみた。
尊敬するアストル・ピアソラについて。資料は決して多くないが
見つけた文献を開いて、最初はスマホのメモに記録していたが、
果たしてあとで見るか、頭に入るか?と思ったとたんに中止。

買い置きしてあった新品のノートを取り出し、
読みながら覚えていたい箇所を、書き写していった。
不思議なことで、書き写すと安心感がある。
なぜかスマホのメモ機能に入れるときとは、感覚が違う。
自分の手で文章として書いていく行為自体が、記憶につながっている
のか。スマホに記載するときは、センテンスというよりはワード。
でも、手書きにするときは、センテンス~文章で書き残す。

ということで、オンラインでしか読めない何冊かの雑誌の特集から
ポイントをしっかり書き写したら、とても気持よい。
久しぶりに本を読んだという読後感。
そして、書いたノートを開いて復習をする。
書いた文字に「いのち」が吹き込まれた感じがする。
文字が自分のものになった感じがする。
手書きはやはりいい!。
夏の小さな宿題の第一章を終えたとちょっと安堵。

実は仕事の現場では、聴きながら話しながらメモをしながら
という同時の行動で、頭に手元が付いていかないチグハグ感を
不安に思うことも多いが、読書や自分との対話においては、
ゆとりをもてるせいか、頭も手先も同時に動ける。

ピアソラノート。
さらに違う文献をみつけ、さらに書いていきたい。
いつか、自分なりのまとめ方をしたい。そして表現に活かしたい。
新たな世界の創造のための一歩だ。
そのために、頭と手先を使いながら、吸収していきたい。

そんなわけで、時にアナログな時間を選び取るのが良い。
AIに聞くではなく、1冊の本に向き合う。一曲に向き合う。
そんな時間をもっともっと、とること。とれるようにすること。

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ユーズド イン ジャパンの人気。

以前、実家の片付けをお手伝いいただいた企業さん。
もう数年以上前になるが、終活の手伝いやいろいろ
されているとお聞きし、さらには遺品やさまざまなものを
集めて海外に送っていると聞いたことがあり、それが新しい
ビジネスになるのだと聞き、当時は、ちょっと想像ができないで
いた。

ところが最近タイで、日本の中古品を大々的に販売している
マーケットの存在を知り、驚き、こういうことだったのかと
改めて理解した。

日本から骨董品から家電製品、衣類など大量に現地に荷物
が届く。コンテナに乗せて、船便で送っているのだろう。
あるマーケットには週に2~3度、新しい商品がドーンと
届く。それを店先に大量に並べて、販売。
来店客は中学生から大人まで、年齢層も幅広い。
自分のお宝探しから、なんと業務用仕入れまで。
家具や調度品をトラックに積んで運び、自分で販売する。
売り歩く人、ネット販売する人・・・。

とにかく日本の中古品がちゃんとタイで有効活用されている
だけでなく、ビジネスになっていると知り、これを始めた
人の着眼点に感心した。
私のその知り合いもその一人だろう。今度、ぜひ近況を
聞いてみたいと思う。

タイの人にとっては、
日本の製品は、とても物が良いそうだ。
メイド イン ジャパン。これは昔から日本人の誇り。
作りがしっかりしている。
素材がいい。デザインがいい。カッコいいそうだ。
そして、大切に使われてきている。
ユーズド イン ジャパン。が今、人気だとのこと。

カセットテープのデッキを買って、テープで音楽を
聴くなんて、若者もいるそうで、(日本にもいるかも)
超アナログが新鮮な文化な様子。

もしかしたら、親が使っていたものも海外にも流れていったかな。
決して悪い意味ではない。
誰かに使ってもらえていたら、うれしい。

ふと、自分が今愛用しているさまざまなモノたちを見ながら、
これは海外の人も喜ぶのかな?と想像してしまった。

もし、日本国内にパリの「蚤の市」のようなものがあったら
流行すると思う。
もちろん期間限定の催事出店は多くあるが。

おフランスの骨董品が好きな日本人と同じように、
タイの人たちは日本製の商品が好きだ。
(骨董品に限らず、まさに生活用品・・・)

日本のモノが良い!
この強みは時代を越えて、普遍。
誇らしい。

こういったリサイクルはとても意義がある。
一方、毎シーズン大量生産をして、セール販売し、
アウトレットで販売し、その後は・・・と
いうメーカーのビジネスサイクルを見ると、
そんなに費用をかけ、無理して売り回すなら、
もっと少なく作れば良いのに・・と
思ってしまう・・・。
世のなかに、そんなに新品が生産され続ける
必要があるのかと。
何か無駄なことをしてはいないかと。

改めて、モノを大切にしたい。と
心から思った。

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研究、創造、そして探求。

自らが目指す世界を求め続ける生き方は、そのプロセスが素晴らしい。
自分ひとりで創造できる世界もあれば、ひとりではなく大勢の人の力が
必要な世界もあるが、
前者の場合、芸術の分野がそれに当てはまると思う。
自分の力で何かを生み出すことができ、それが人々にいい影響を
与えることができるならば、最高の人生だ。
できればそれを実践したい。最近、そんなことを強く思う。

バッハもベートーベンもそれに続く多くの音楽家たちはそれを成し遂げた
人たち。何百年経っても人々がその楽曲を愛し続けている。
人々の心をより豊かにしている。創造は人間にしかできない偉業。
模倣の技術とはまったく違う。

最近、生み出された楽曲だけでなく、その背景や作家の意図を考えること
が大変興味深い。なぜこの曲が生まれたのか。その作家はどんな人生を
生き、作品を生み出したのか・・・。
それを知ると、より深い理解が深まり、見えてくるものがある。
美術の世界も同じことだろう。
そんな意味からも、美術館通いをすることも多い。

最近、そんなことから、尊敬するアーチストの研究を始めた。
やはり、この人だと。この人が生む魅力的な音楽を学びたい、
それをヒントに自分の表現に磨きをかけたい。
研究とはまず知ること。作品にふれ、人生にふれ、自分なりに
解釈しながら、自分の創造に活かす。
そして、そこから自分が目指す世界に向けて活動する。
研究は研究のまま終わるのではなく、物事の解決や目的に活かされる
べきであるが、今は自己探求のためのステップとして考える。

古い本を探して読んでみたり、メモをとったりしながら
自分の中に収めていく過程が懐かしく、新鮮だ。
学生の頃、時々はそんなこともしていたと、学びの楽しさを
思い出す。

ここからスタートしても遅くない。
気づいたときが、学びのスタート。
研究、創造、そして探求。
これを繰り返して、人生が過ぎたらいいなと思う。
いずれも一人でできる。この自由さもとても良い。

自分の研究テーマを持ち続ける人生は、いつからでも、
いつまででも。生きる限り、続けたい。

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弾丸NYの旅に青春重ね。

2年前、大阪でたまたま知り合った同郷の青年は
現在、40歳。
よく考えたら、そんなに違うの?と思うほどの年齢差
であるが、出会い方もユニークであったが、その後も
なかなか興味深いキャッチボールが続いている。
会って話せば、軽く2時間以上、話題は尽きない。
だから、会うときは一大イベントに参加するぐらい
時間に余裕をもって臨みたい相手である。

その方との共通点が、まさかこんなところに!
という発見もあり、今回はその話題である。

今週いただいた、暑中見舞いのメールの最後に
「今月後半はちょっとニューヨークへ行ってきます」
とあったため、思わず、「おお!」
とそこに注目する。

その人は大変真面目な会社員であるが、
毎月のように、国内外に出かけているとのこと。
出張の場合もあるが、プライベートな旅にも頻繁に
出かけている。
飛行機に乗るのが好きなんだろうでは済まないほど
に移動の達人であり、「ちょっと行ってきます!」
「今回は子ども(幼児)も連れて行きます!」
と言うノリの旅も多い。
最初は驚くこともあったが、最近は慣れた。

今回は、年に一度は!と決めているNYに
1泊で行くそうだ。

その「年に一度は」と言うところに興味がわいた。
どうやら、初めてNYを訪ねたのは10年ほど前。
であれば、30歳の頃か。出張で足を踏み入れた初NYは
本当に刺激的で、とくにタイムズスクエアに来た
ときには、ここが世界の中心だ!と興奮。
そして、そこで見るものだけでなく、行き交う人々も
大変刺激的で、たまたま出会った日本人はじめ
出会う人が皆優しくて、NYが大好きになり、
何度も通うことになった。

そして、滞在するたびに同じ道を通り、町の変化を
楽しみながら、NYのパワーを得て帰る。
そしていつしか、毎年行こう!と決行。
そして今月も!予定されているとのこと。

このNYの体験談を聞いて、
自分のNYの思い出とぴったり重なった。
私の場合は、25歳が初のNY訪問であったので、
今から35年以上も前のことになるが、当時、
初めて見た世界が本当に刺激的で、そこから
NY通いが始まった。
あれから20年以上は毎年1回と言わず、通った。
NYに行けば、必ずまた戻ってくる!と言う気持ちで
マンハッタンを背にした。
頑張る糧になっていたといっても、過言ではない。
NYの存在のおかげで、自分の世界は広がり、
それから世界各地へ足を運ぶきっかけにもなった。

今はワケあって、かれこれ10年、降りたっていない。
もちろん大好きでたまらないNYであり、
私のモチベーションを上げ続けてくれた拠点のひとつで
あり、NY愛は、まったく変わっていないけれど、
今のアメリカには・・今のNYには・・との気持ち。

でも、こうして世代を超えて、若き青年が
あるきっかけでNYに出会い、毎年通って、限られた時間であっても
その世界に触れることで、パワーを注入し続けて
いることを知り、何とも言えない嬉しさと懐かしさを感じた。

そして、グルメをするわけでもなく、ただ町を歩き、
店を見て、町の人と会話をして、
五感をフル回転して滞在している様子が浮かび、
まさに四半世紀前に、自分が歩いていたマンハッタンを
思い浮かべた。
私が毎回歩き続けたのは、ブロードウェイ。
歩きすぎて足の裏が暑くなるほどに、歩きまくった。

そんなに通っている間に、例の911とニアミスすることにも
なったのであるが・・・。

とにかく、自分から旅をする人は心からエールを送る。

わが青年友の、子連れ弾丸NYツアーの無事を祈る。

BON BOYAGE!


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