学びの仲間からのメッセージ。

ビジネスとは無関係の場所に身を置くことで、
日常で出会えない人との出会いもある。
そこに行くから出会える人がいる。
背景や動機がそれぞれであっても、そこに来る
という点で共通の問題意識がある。
もっと学びたい、世界を広げたい、
新たな出会いを求めたい・・・と。

東京暮らしの最後に通った早稲田の講座。
スペイン語を学ぶ・・・このことは、私にとっては
結局、後に続かなかったけれど、そこでの収穫は
まったく異なる世界を生きてきた方との出会いが
あり、10年近く経った今もその関係は続いている。

広島生まれ。ご両親やご親戚は原爆を経験され、
それがその方の一生を決めることに。

放射線の研究をして専門家になり、その正しい活用を
世に伝える仕事に。経験から生まれた道。

全く畑が違うけれど、情熱的で勉強熱心なその紳士は、
よきアミーゴとして、今も交流を続けさせていただい
いる。
定年後も、放射線の研究者への指導を続けながら、語学を
大いに学び、国内外を旅しながら、世の中の動向を見据え、
ご自身ができることを積極的に取り組んでおられる。
人生を楽しんでおられるのが印象的。
こんな知り合い、他にいないな~、と
まったく違う世界を見せてくれる方である。

と、新たな学びの場に出向くと、そんな仲間にも出会える。

久しぶりにメールのやりとりを。こんな文面に共感。

近年、他人を過剰に殺めることが当たり前の風潮となった。
時流となれば当然政治家もその手法を多用する。
本当に嘆かわしい、というより恐ろしい。

一服の清涼剤があった。「チームみらい」が発したメッセージ。
私たちは、誰かをおとしめない。
他の政党も政治家も、日本の未来をつくる仲間。協力できる箇所を探し、
一緒に進みます。

私たちは、分断を煽らない。

感情ではなく、データと事実で語ります。
批判より提案を。分断より解決を。

私たちは、何事も決めつけない。

正解はひとつじゃない。
多様な声に耳を傾け、より良い答えがあれば、柔軟に改善します。

とのメッセージを引用され、この声が少しづつ世の中に広がっていくと
良いとあり、大いに共感。

そして、最近、これから講義される勉強会に予定されている
冒頭の一説を共有してくれた。

L’essentiel est invisible pour les yeux.  

大切なものは目に見えないんだ…(星の王子様の独白)

ほんとうにそうだ。

学びの場で出会える人とは、こんな刺激も交換できる。
さあ、これからも、目に見えない世界をしっかり見よう。

生きることは、メッセージを伝えること。

さあ、大切なものを探し続ける旅を!

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情報源の分断が招くもの。

先週末、全米を取材し続けてきた毎日新聞の記者の
話を聞いて、もっとも印象に残ったこと。
社会の分断の根底にあるのは、情報源の分断ということ。

その人がどんなメディアに日ごろから接しているかによって
それが真であろうが、偽であろうが関係なく、その身近な
情報を信じるようになる。
どんな情報に接しているかで、いろんな判断が変わる。
同じ事象も全く違う世界に見えてしまうから、恐ろしい。

新聞の誕生。日本では江戸時代。瓦版のようなものが
ルーツと言われ、今でいう新聞は明治になり、海外の
新聞に倣っての誕生となったらしい。当然、印刷したもの。
それをわざわざ買いに行く、わざわざ見にいく。
と自分の意志で自らが情報を入手した時代。
人びとはもっと世間を知りたい、世界を知りたいと、
新聞による新たな情報は、さぞかし楽しかったことだろう。

伝え手はあくまでもプロであり、受け手は受け手。
そして、メディアとはあくまでも権力の監視をすることが
その大切な役割であった・・・。
世の中が間違った方向にいかないようにと、第三者の目で
客観的な情報を伝え、読者が考えるきっかけを与えた。

と、そんな時代はどこへ行ったのかと思うほどに、
メディアはその質も、量も変化し続けてしまった・・・。

今は、いつでも手に入る、目に飛び込んでくるものが
とりあえず良し。
どんどん飛び込んでくるものに、次第に親近感を抱くように
なる。

何を見ているか、により、その人の価値判断は変わる。
自分と違う世界を見ている人とは、相容れなくなる。

今やグローバルとは程遠い、大変狭い視野の中で、
生きる人が増えている。
これは、ネット社会、SNSの影響が大きいと言えるだろう。

自分が知る世界以外のものを受け入れない社会。
ここから、今の愚かしい事態も生まれていると思う。

いろんなものを見る。そして、より確かな目をもつ。
その情報はどこから来ているのか?それは確かであるか?
それをすぐ信じるのではなく、俯瞰しながら、
ときにクリティカルに、冷静に受け入れる姿勢が
相手を真に知ること、理解することにつながる。

分断という言葉が日常化すること自体に危機意識をもつ。

自分と他者の間に壁をつくることは 人類の幸福に
つながるだろうか。

いいかげん、〇〇ファーストをやめないと。
改めて、情報という存在の怖さとその責任の重さを思う。

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願えば、言葉に。

いつも、将来はどこへ住もう、住んだらいいか。
とそんな話をしている。
まだそんなことを言っている。
現在地を終の棲家とするとは、思っていないようで。
あそこに住んだら、便利だ。
いや、あそこなら、眺めが良くて、老後には向いているのでは。
いや、便利じゃないと無理だ。
いや、もっと近くに勉強できたり、見るものが多いところがいい。
いや、散歩をするには、やっぱり、あの街じゃないと。
でも、もう東京には住めないね・・。
と、思えば、ここ何年も、同じような会話をし続け、将来の夢を
つぶやき続けている。
ご馳走もいらないし、高級品を求めることも不要。
でも、いろんな道で散歩ができて、四季の変化を楽しみ、
美術館や商店街など見聞したり、
ふれあう対象があって、ちょっとしたカフェがあれば・・・。
むむ、かなり贅沢なことを言っている。

でも、願えば口に出す、意識に上げる。
すると、それに向かって必要な情報を得たり、出会いもあるかも。

ほんとうに、どこへ行きたい?どこで終わりたい?
とずっと、心の旅を続けながら、
でも、結局はピアノのことが、気にかかる・・・。

わが人生、どこへ行くのかは今しばらく迷い続けるとして、
日々生まれ来る願いは、これからも言葉にし続けよう。

ああなりたい、これがしたい、こんな世の中に・・・。
前向きなことをいっぱい口にして、
そのためにできることをやり続けよう。
そんなことを続けていたら、きっと行きたい場所に
たどり着いているかも。

人生は終わりが見えないゲームだから、
どうなりたいか、どうしたいか、
あきらめるのではなく、大いに楽しめばいい。

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生きることは、学ぶこと。


と、こんなタイトルを書くと、ちょっと大げさな感じ
になるかもしれないが、最近、「知」への欲求がより
高まってきているような気がする。
もっと子どもの頃から、学生時代に真剣に勉強して
よかった・・・ということだけではなく、その頃とは
違って人生や、世界が自分なりに見えてきて、
結局はまだまだ知らないことの方が多い現実に気づき、
もっと知りたい、理解したいという気持になって
きているのだ。
本当の勉強は大人になってから・・なのだろう。
受験勉強は受かるための、高得点、偏差値のための
インプットであり、自分で考え、世界と向き合う
という学びとは全く異なる。そこには戻りたくは
ないし、もともと受験勉強をしたことも、学習塾に
通うこともなく、その道からは外れて生きてきた
から、自分の現在がある。

さて、具体的な学びといえば、
読書は一生誰にでもできる、一番身近な勉強法である。
これはすぐにでもできる。
ある書店のメルマガに「積読」という面白い表現が
あるが、私も気を付けないといけない。
本をよく買ってきた。「とりあえず、つんどく」
時間ができたときに、読もう。
この一見前向きではあるが、不確実な方法は卒業せねば。
将来、時間ができたら読もうときれいに書棚に飾って
ある本を開き、じっくり過ごす時間をもつ。そろそろ
しないと全部を読み切れないと自分に注意喚起。

一方、どこかに学びに行くというのは、つんどく
わけにもいかず、今しかないという授業には優先して
時間をとることになる。
学びとは、今のビジネスに直結するテーマもあれば、
今の世界をウォッチするために必要なこともあれば、
さまざまである。これ、知っておきたい!と思う
講座があれば、まずはエントリーしておく。

そんななか、ありがたいのが、母校が長年やっている
土曜講座。なんと今年で90年になる?そんな長きに
わたって、地域に開かれた大学として、無料で講座を
続けている。改めて誇りに思う点である。
そして、コロナの経験を経て、オンラインででも受講
でき、あとで見逃し配信もしてくれるため、本当に
ありがたい。
京都と名古屋へこのために通うことももちろんできるが
どこからも受講できる手軽さが助かっている。
そして、放送大学のプログラムもとても自分には
とても助かっている。

昨日はその土曜講座で「アメリカ崩壊~米国人ファースト
の果て」とのタイトルで、毎日新聞の国枝記者の長年
にわたるアメリカ取材の報告を聞き、自分の考えを
改めて確認することができ、またここにも、「伝えねば!」
との気概を持って体を張って仕事をしているジャーナリスト
に出会えたことが、とても刺激になった。

と、新たな学びは必ず、自分の世界を広げ、自分に自信と
勇気を与えてくれる。

この春、入学された新入生の皆さん、ぜひ大いに存分に
学び、世界を正しくみつめ、確かな道を拓くきっかけに
していただきたい。そのために、受験勉強をしてきたはず。
決して、学歴のためではなく・・・。

もっともっとこれから、生きる限り、学びの旅を続けたい。
目の前のスマホのフェイクを信じることなく
正しい知を得る判断力を養いながら・・・。

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65年の歴史、美味しさの記憶を永遠に。

宅急便が届いた。
「あれ?この前、注文してもう届いていたのに?」
このウィンナーを製造する会社の応援団長からのお届けであった。
「これ、最後の商品です。ご愛顧ありがとうございました」
とメールをいただき、ああ、これが本当の本当に最後なのか・・
と胸があつくなった。そして、冷凍庫に丁寧にしまう。

この十数年の間、何度か何かあると贈っていただき、自然な味わい
で、いただくたびにドイツのミュンヘンの駅や街なかのレストラン
で食べた「ブルスト」を思い出し、日本にもこんな本場の
味がするウィンナーがあるのだと感心していた。

食べる方はいつも自分勝手で、商品は永遠にあるものだと
思い、いつでも食べられると思っている。
ところが、企業も生き物であるから、永遠に創り続けることは
容易ではない。

こちらの企業も1961年の創業以来、ご家族で手作りの
ハム・ウィンナーづくりを続けてこられたが、高齢と世代
交代の困難から、この2月末で事業を終了された。

昨年後半あたりからもうそろそろ終わります・・・とお聞きしてから、
またまたお客の身勝手で、急にまとめ買いをした。
なくなると聞くと、欲しくなるのだ。
(先日書いたが、間もなく閉店するデパートに急に何度も行く心理と
同じだ)

そして、届いた品を格闘しながら、狭い冷凍庫に保管し、
身近な人に「これ、最後のウィンナーだから美味しく召し上がって」
と言いながら差し上げ、自分でも焼いて、ゆでて、スープにホットドック
に・・と大切にいただいていた。
なくなってしまったら、最後だから大切に、大切に・・。
そんなところへの、本当に最後のお届け。

改めて胸がジーン。このハム会社の方にはお会いすることがなかった
が、こちらをずっと応援されてきた、応援団長を通じ、
この素晴らしい商品と出会えた。
どんな思いで創業し、継続し、そして廃業していくのか・・・。
自分が生まれる前から事業を始めておられたと知り、
まさに、昭和・平成・令和とハム・ウィンナー一筋の人生を
歩んでこられたのだと思うと、商品が愛おしく思えてきた。

「家族に食べさせたい味をお届けしたい。」
確か、リーフレットにそんなメッセージがあったと思い出す。
そう、一番大切な人にこそ、安心安全な美味しいものを
と願う人々にずっと愛されてこられたのだ。

いただいた最後のグルメウィンナーたちを、改めて作り手の
思いを想像しながら、なんとか続けられないかと思案を重ねて
こられた応援団長の思いをしっかり受けとめながら、
じっくり、美味しくいただきたいと思う。

このところ、創業60年を超えられた企業との出会いが
ある。続ける、やめる。いずれも簡単な決断ではない。

この言葉がなかった頃からの粋なネーミング。
東京生まれの「グルメウィンナー」。
長らくのご尽力に心から拍手を送りたい。

長年お疲れ様でした。
ほんとうに美味しいものは、人生の大切な思い出になる。
改めて敬意と感謝を込めて・・・。

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「お墓、つくったよ」

久しぶりに仲間と会う。仕事でお世話になってきたが、
気が付けば20年以上の交流であり、大切な心友である。
私が本当に困ったときには、助け舟を出してくれた・・・
その共に私があげられるのは、元気ぐらい・・・。

近況をお互いに語り合う。
すると、「ちょっとこれ・・・」と、スマホを
見せてくれる。
「なに?へ?これ へ?お墓?」
「そう、作ったの。できたばかりだけど」

流石に驚いた。同い年である。
私は将来、墓に入る気はないと前から決めており、
いずれは墓じまいも・・・と考えているぐらいなのに、
この友は自身のお墓をつくってしまった!
まるで、わが家を作りました~という感じ。

そのお墓は、パリで見たことがあるような雰囲気の
とても素敵なデザインで、これなら入りたくなるわ。
と思うこれまで、日本のどこでも見たことがない
とても素敵な作品(あえてそう呼ばせていただく)。
カタチも彫られている文字もすべておフランス風。
文字もフランス語が筆記体で綴られている。

聞くところによると、

1000回ありがとう

皆さんに会えて私は本当に本当に幸せです

と書いてあるそうで、
たくさんの感謝をあらわしている。
そこには、〇〇家の名前も、個人の名前もない。

まあ、なんと素敵なお墓だこと。

改めて20代、30代のときに訪ね歩いたパリの墓地の
中にあった素敵な墓石を想い出した。

同い年の彼は、これを作ってしまったのだ。

人は生きたあと、どうなるのか。
その考えは、人それぞれであろうが、
彼はそこに眠ると決めたのだ。
自分の人生をしっかりと考え、着々と準備を
している姿に、刺激を受けた。

「感動したわ。本当にいいね。
でも、まだ早いからね」
と笑いながら・・・。

永眠の場所を考える・・・。
いつか、別れるんだな。
と思ったら、笑いながら複雑な気持にもなったが、
たくさんの感謝をして、一生を終える。
というフィナーレは心から共感。

まだまだ長くおつきあいしてもらわないと。

一歩先をゆく友が、ずっと元気でいてくれるようにと
改めて心から願っている。

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雨と桜で祝う、恒例のセレモニー

4月1日。地元のデイサービスの開所5周年の記念イベントに出演させていただいた。
スタッフと利用者さんが一緒に凸凹合唱団の伴奏と、その後のコンサートを担当。
ふりかえると2周年の2023年から毎年、この日を一緒にお祝いしている。
母の旅立ちから数日後の開所ということもあり、自分の中でも忘れられない
施設。親が元気だった頃、この地はなんと喫茶店であり、母も利用していた。
コロナ禍の影響で、結果的に福祉施設に変身!
まるで喫茶店のモーニングに通うごとく快適にサービスが受けられると、
今や地元でも、隠れた?人気サービススポットとなっている。

ご縁をいただいて以来、周年記念日以外にも、年に何度も通わせていただき、
利用者さんやスタッフに演奏とトークを楽しんでいただいている。
常連さん?も多いコンサートになって、ご好評をいただき、嬉しい限り。

自分にとっては、出前・出張コンサートの最初の取り組みのひとつであり、
大切にしたいご縁。今でも親孝行ができる貴重な空間でもある。
初めての方にも、何度も何度もお会いする方にとっても、なぜか毎回新鮮に
受けとめていただき複雑ながらも、
今のこの瞬間を楽しんでいただければ最高!と思うようになり、
こちらも毎回、初心で演奏をすることにしている。

認知症になっても、この瞬間を楽しむことはできる。
自由に体が動かなくなっても、音楽で自由なひとときを楽しみ、
歩んできた人生へのタイムトリップもできる。

演奏後、いつも何度も何度も声をかけて下さる方がいる。
「お母さん、元気?あなたのお母さんのこと、大好きだった」
「はい、元気ですよ。宜しく伝えますね」
と、こんな会話にも慣れてきた。

また、花束やお惣菜を届けてくださる利用者さんのご家族も
おられ、父母が長年育んできた地元愛が、こんなカタチで
返ってくることに胸があつくなる。

高齢者施設は究極のサービス業だと思う。
こちらの施設でのスタッフの離職率は低い。
みなさん長い間、楽しみながら、お仕事されている。
経営にはさまざまな工夫、苦労もあると察しつつ、
天職として頑張り続けている経営者の志に共感しながら
これからも応援を続ける。
生きる人の明日に何かをプラスしたい。
アスタス・・・社名にもその思いを改めて感じる。
https://asutasuday.com/

父母とともに地元で過ごされた皆さんたちが
これからもずっとお元気に楽しく過ごして
くださるように心から祈っている。

汗だくになっての帰り道、父の提灯が雨に咲く桜とともに
微笑んでいた。「今年も、ありがとうね」

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初心思い出し、新たな自分を。

昨日まで年度末で何かとあわただしく動いていたが、
1日過ぎて見れば、ここから新年度。
年度替わりは、とくに職場や学校での変化が大きく、
休日で迎える新年よりも、ゆとりがない。

と、今はそう思うけれど、新入生や新入社員の立場
となれば、年度末はないので、今日からが新たな出発。
緊張も期待も入り混じった特別な日。

ふと約40年前の入社式のことを思い出す。
そういえば、役員さんたちとの記念撮影があったなあ。
同期は女性2名と男性一名。
女性の総合職を始めて採用、男女雇用機会均等法の初年度。
この法律も今となれば当たり前であるが、当時は画期的であり、
女性の新卒に興味関心の目が向けられた。
女に何ができるかな?という目線を感じたあの日。
ということを、久しぶりに思い出した。

あの入社式の写真は、どこにいったのだろう。
もうお会いすることのできない当時の上司たちに
導かれ、社会人のスタートを切った。
あの写真に写っていた奮発して買ったスーツと
少しすました顔つきの自分がいたなあ。

当時、自らのこれからを明確に意識していたわけではない。
なりたかった職業に就いたわけでもなく、
次のステップとして考えていた教職までの準備期間
として、生活のため、経験のためにがんばろう・・
とそれぐらいのゆるい入社動機であった。
そこで一生がんばるということは考えても
いなかった。
それでも、学生生活を終了し、
新たに始まる社会人生活への緊張は確かにあった。

今日、入社される新入社員の皆さんは、どんな気持ちで
朝を迎えておらえるだろう。
慣れない通勤が始まる。

今どきは、余りにも早い段階からの就活で、学生時代から
いち早く社会人環境を模擬体験しているだけ、
現実感のある入社なのかもしれない。

とにかく、親や周りから独立して、自分の道を
歩み始める日である。
働いて、自分の生活を創るという社会人スタート。
期待と不安が交雑、
そんななかで、若者たちは、真っ白なキャンバスに
自分の人生という絵を描き始める。

どんな絵を描いていくかはその人次第。
どうか夢をもって、簡単に折れることなく、
柔軟にしなやかに社会人生活を育んでほしい。

今日から新たな出発をする皆さんを、心から祝し、
自分も今日から1年、新しい自分探しを始めたい。
さて次は、どんな絵を描こうか?

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鑑賞より記録?!

撮影や録画が簡単にできるようになって、
人間の感性はどう変化したのか?
そんなことが気になる昨今。

飲食店に行けば、美味しそうな料理を見て、
「わあ~。美味しそう」
と言いながら、すぐスマホを取り出し、料理は被写体に。
冷めようが、とけようが、まずは儀式のごとく、撮影
し、SNSに公開する人も。
そういえば、こういった場合、料理って著作権ないのか?
ちゃんとしたお店であれば、許可をもらわなければ
撮影を許されなかった時代が、今は昔のような感じが・・・。

美術館へ行ったら、長蛇の列。
ナポレオンが描かれた作品を久しぶりに見たいと来てみたけれど、
そこに人が集まり、動かない。
なぜ人の動きが止まっているか?多くの人が撮影して
いるから・・・。
しっかり絵の前に立って18世紀終わりから19世紀の
ヨーロッパ社会に思いを馳せたいと思っていたが、
とてもそんなことはできなさそう。やむを得ず、
自分もスマホを出して、とりあえず、来た、観たの
証拠づくりのように、ささっと撮影してその作品から
離れた。
ナポレオンの絵の前だけでなく、多くの作品の前で
立ち止まっている人の多くは、撮影をしている。
昔の美術館とは様相を異にする。すっかり変わった・・。
世界中の美術館が変化しているだろう。
何も持たず、ただ鑑賞し、ため息をつく・・・。
そんな光景はルーブルでさえ、もうないかもしれない。
作品は美術館で、鑑賞者と直に向きあうのではなく、
レンズを通じていつでもどこでも見られる存在になって
しまった。敷居は下がったけれど・・・。

自分のコンサート。
いくつかの施設では、当たり前のように撮影や録画を
される。
本来は事前に断りをする・・というルールがこの世界は
別のようだ。ご家族はじめ、関係者に報告をしなければ
ならないという命題が優先される。
さすがに、無断で公開はされないようにと、お願いする。

何かあったら、まず記録。
スマホの普及は本当に人類の記録欲、露出欲を一気に
高めた。
撮る前に、しっかり観たら?聴いたら?味わったら?
五感を働かせる前に、撮る・残すという習性が当たり前に
なっている。
後でも見れる、聴ける。

日常を瞬時に思い出にすることができる。

自分も人のことは言えない。
昨日は満開の桜を見て、撮影のアングルばかり
考えていた。レンズ越しではなく、桜自身とどれぐらい
向き合っただろう?
たくさん撮ったわりには、ここに貼り付けたいいい絵が
なかったが・・・。

いかん、いかん。
まず肉眼で愛でよ。耳で聴け、そして頭に、心に
自力で残せ。
と反省。
すぐ記録するということは、後で見ればよいと
思って、自分の中には残されないのだ。
記録の外注化でなく、まずは感動を自らの中に
注入すること。それが本来の鑑賞だと思う。

記録より鑑賞。
後のお楽しみより、この瞬間を。

スマホの使い方は、ここでも要注意。

目を閉じたときに、どれほどの風景が
映像が自分の中に描き出せるか。

鑑賞と感動。
そんなことを思う、便利な時代。
大切なものを失くさないようにしたい。

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4月はじまりのカレンダーとともに!

3月といえば、卒業・・・。と、そんな記述をしたり、それをテーマに演奏して
きた最近ではあったが、そろそろ、気持を切り替える。
ここからスタート!である。
昨年に続き、1月はじまりではなく、4月はじまりのカレンダーを作った。
以前は1月から12月までにしていたが、どうしても年末に間に合わず、であれば
4月はじまりでもいいのでは?と、思い変えてみた。
他のカレンダーと違うのも、新鮮。また気持をカレンダーとともに、
年度で切り替えられるのも良い点だ。
超限定として制作。過去に撮影した写真や大切にしている素材を生かして。

そろそろ、別れや終わりのムードから、新しい世界に自分の気持ちを向けて
いかねばならない。
不思議なものだ。
カレンダーひとつで、よし!ここからまた1年がんばろう!とさまざまな
心の塵、澱が消えていくような気持になる。

そう、これから社会人になる人、これから学校へ行く人・・これから
の新たな生活に意欲を燃やす人たちと一緒に、自分も新たに1年を始め
なければと思う。
新たな年度に向け、マイカレンダーが毎日自分の背中を押してくれる。
これは、私自身との大切なコミュニケーションツールである。

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