3月11日のあの日から、今年で15年になる。もう?まだ?
その日が近づくと毎年、いろんな思いが蘇る。
とくに、その前日に札幌のスタジオで初アルバムのレコーディング
をして、へとへとになって東京へ戻って・・・そして翌日にあの
大地震。銀座で打ち合わせしていて、お店のシャンデリアがふりこ
のように揺れていたことが思い出される・・・。
あれから、日本も世界も、みんな変わった。
自分もその中で、なんとか生きてきた。
大震災も、コロナも、これまで経験のない「想定外」な事象が
続いてきた。今も続いていると感じている。
人間、驚くことにも慣れてしまうのかとも思う今日。
このように世の中の変化を感じることは容易であるが、
その時間を自分がどう過ごしてきたかをみつめる機会は
少ない。
今回、久しぶりにその震災直前に録音した自分の声と演奏を
聴きながら、その当時の自分を思い出した。
まだ?40代であった。初のアルバム、出版ということ
でその当時の自分にとっては大きな挑戦であったことを
思い出す。
その初アルバムは、いろんな意味で改善点は今もみつけられるが、
でも、何かしらピュアなものを感じる。
自分の作品をつくる、まとめる、残す。
その初めての経験は、いかに自分のなかで貴重な宝であったか。
あれから15年。基本は変わっていないつもり。
人生はミルフィーユのように・・・とわがテーマ曲
「人生は観覧車のように」にも書いたが、一枚一枚薄い皮を
重ねながら、ここまできた感じ。
でもそのミルフィーユはバウムクーヘンに変わってきたかも。
15年前の自分の作品や声や演奏は、現在の自分を鼓舞してくれる。
エールを送ってくれる。そんな存在だ。
そして、自分にはたくさんの宝があることをうれしく
思う。
自分がつくり、歌い、弾いた作品は自分がここから
いなくなった後も残るだろう。誰かがきいてくれる限り・・・。
思い出してくれる限り。
人生とは、まさに人生づくり。
自分で生きた証しを、悩みながらも作り続ける時間なのだと
思う。
今日も自分の音を聴きながら移動し、しっかりインプットして
明後日の長崎では、
15年前からの自分が生んだ作品も 今の自分らしく演奏して
みたいと思う。
いつまでも、ピュアであれ。まっすぐに、実直であれ。
15年前のわたしからの、エールに元気が湧く。
15年前の自分と向きあう。
クリエイティブに生きる歓び
Creativeとは、創造的な・・という意味だ。
同じことを繰り返すのではなく、人まねでなく、新しい発想をもって
何かを生み出そうとする姿勢、行動を目指すことである。
自分の人生だから、自発的に自分らしく生きるために、あれこれ
発想し、ひらめきや思いつきを大切にしながら、それをカタチにする。
自分が伝えたいことを持つこと自体が、クリエイティブな生き方の
始まりだ。
何かを創造するには、世の中を俯瞰して見ないと創造のタネが
見つからない。
また、自分は何をしたいのか?どう生きたいのか?という
問題意識がないと、作品づくりまでたどり着かない。
何か作ればよい。という作品はつまらない。
思いがあること、それを自分らしく表現してみること。
誰も作らなかった作品が生まれると、生きていて良かったと
思えてくる。
今、週末のバレンタインコンサートに向けて、クリエイティブな
感性をちょっと揺さぶっている。
今回は、曲だけでなく、小さな朗読劇という挑戦も待っている。
いずれも、クリエイティブな営みであり、自分らしい。
それを楽しみながら、関わってくれる仲間があってのこと。
創造をともに楽しめる仲間がいることは、私の人生を豊かに
してくれている。本当にうれしい。
また今、自分の過去の自作の曲を聴き続けている。
15年前の、10年前の、数年前の、3年前の・・・その時々の
自分のクリエイティビティに自分で感動し、自分を褒める。
クリエイティブな発想と行動力は、人生を豊かにする。
経済的な豊かさ以上に、心の豊かさは 創造を楽しむことから
得られるのだと思う。
生みの苦しみというほどのこともない。
瞬間の集中から、生まれる作品もある。
お尻に火がつくと、よりクリエイティブになれるのが不思議だ。
長崎バレンタインコンサートまで、あと3日。

アルモニアを目指す世界へ。
オリンピック・・・。この存在に思うことは多々あるが
純粋に自分の記録のために、がんばる選手を見ていると、
なんだか気持が高揚する。
この瞬間のために、純粋な気持ちで、努力を重ねてきた
人達の姿は、本当に美しい。
記録を出すには、自分ががんばるしかできない。
他人には頼めない。逃げることもできない。
まあ、途中で逃げるような人は この舞台に立てないし、
立つ資格もない。
結果が出ても、出なくても、全力を出し切った選手には
心から拍手したい。
自分が最高のパフォーマンスができたならば、
まずは、それだけでも、金メダルものだと思う。
競技であるから、記録を競うものであるから
順位はつくけれど、それ以上にがんばる姿こそが、
見るものに感動を与えてくれる。
やってよかった!悔しい!もっとがんばろう!
やった人しか味わえない気持がある。
経験したからの学びがある。
それをバネにさらに努力をはじめる選手たち。
こうやって人は成長していくのだなと思う。
なぜか、冬季オリンピックが好きだ。
雪や寒さとの闘い。
雪があるからできる競技。
寒さを乗り越えてのパフォーマンス。
夏のオリンピックは暑くて大変な印象が毎回強くなって
いるが、冬のオリンピックは清々しい世界を感じる。
と、あたたかい部屋でながら見をしていては、
選手に申し訳ないけれど。
跳ぶことも、滑ることも 何もできない私であるが、
スケートを見ながら、音楽とスポーツの関係も
楽しみつつ、気分転換をさせてもらっている。
自分との闘い。
どんな手を使って勝つでも・・というのは
本来のスポーツには、ないはず。
努力あるのみ。
そう、自分の人生は自分でつくる。
愚直に努力すること。
そのことを、教えてくれる選手たちに感謝。
今回のオリンピックのテーマには
「アルモニア」という言葉が掲げられている。
ハーモニー、調和である。
この言葉も、とても気に入っている。
スポーツを通じ、世界が平和になるように。
素敵な調和が生まれるように。
メダルを目指すだけでなく、
世界の平和、協調しあう世界を目指したい。
競技する人も、観戦する人も一体となって・・・。
心から全選手へ期待を込めてエールを送りたい。
アルモニア・・・いい響き。
30年以上前、ある広報誌の企画で
「夢ハーモニー」というタイトルを考えたことがあったなあ。
ふと、そんなことまで思い出す、今回のオリンピック。
雪国へのエール、と敬意。

新潟長岡より、最近の雪の写真が送られてきた。
撮影の翌日には、さらに50センチほど積もったとのこと。
そんな光景の中、目覚めたことがないため、ただただ、驚く。
「雪、やばいです。昨日まで毎日、家の周りを1時間除雪してから
出勤していました。町のアーケードが陥落したり、何度も全国
ニュースになっています。今日は快晴に恵まれ、会社の屋根に上がって
雪庇を落としました。もー、ヘロヘロです~」
雪屁とは、馴染みがない言葉であるが、屋根の上などにせり出す
雪の塊だそう。そのままにしておくと落下事故になったりして
危険なため、それを落とすのも大切な雪対策となる。
続いて小千谷からも便りが届く。
「小千谷の積雪も2.5m~3mです。市内の道路は狭くなり、
家の周囲や屋根の雪のやり場がないなどの問題はありますが、
雪国らしい生活として普段通りです。
私も毎日朝晩2回の家の前の除雪が必要ですが、
運動不足解消に役だっています。2月後半からは雪消えが進みます。
春を待ちたいと思います。」
と、何と前向きな生き方をされているのだと、いつもながら感心。
雪国の人たちは、じっと雪や寒さに耐えながら、冬の日々を暮らし、
春を待つ。
かつて新潟の企業さんたちと都内での催事を企画した際に、
「雪どけ越後の〇〇」といったタイトル案が出てきたことを
思い出す。
雪がとけると、春なのだ。雪解けの季節を待ちながら、
冬を耐えて暮らすのだ。
雪があるから豊かな水があり、美味しいお米やお酒もできる。
だから、雪は迷惑な存在ではなく、吉雪なのです・・・と
それを商品のブランドにしている企業も・・・。
と、雪の季節になるとそんなことも思い出す。
雪国の人は、口は達者ではないかもしれないが、
黙って努力する、真面目に働く人が多い。
私が出会ってきた新潟の人たちは、みんなそうだ。
こんな時期の選挙が熱狂のなか、終わった。
雪国の人への心配りはどうだっただろうか?
改めて、祭りの後に思う。
何があっても、自分を守ることを力強く実行されている
雪国の人に学びたい。
雪国へのエールと敬意、そしていろんなことを学ばせていただける
ことへの感謝を込めて・・・。
ちょっとやそっとの雪で騒いでいるんじゃないよ。
と笑われないように、私もしなやかに、強く生かねば!
熱狂より、癒しと優しさの世界を。
自分の世界をつくりたい。と思うのは良いこと。
でも、そのために人を巻き添えにしたり、傷つけたりして
自分の目指す世界を、どんな手を使ってでも、
権力で無理矢理に実現するのは、賛成できない。
自分も、そして自分以外の誰かも幸せになる、そんな世界を
目指したい。
そして、大きくなくていいい、小さくて良いから
熱狂的でなく、地味で良いから、
自分なりの世界を描いてみたい。
との思いがある。
アーチストは、またその道を目指している人たちは、
作品のなかで、自らの世界を描こうとしている。
だから、自分もこの世界に心惹かれるのだと思う。
たとえば、数日後に迫った長崎でのコンサート。
小さな取り組みであるけれど、この機会に自分なりの世界を
表現することができる。
そういったステージをもてることが、幸せだと思う。
もちろん何もしない方が楽ではあるけれど、
やろう!と思う気持が湧くうちに、行動する。
長崎での時間に思いを馳せる。
この町に、この町の歴史に、自分はなぜ惹かれるのか。
共感し続けているのか。
ささやかではあるが、この町を訪ねるようになって
知りえた、学んだ多くのことを、今改めて思い出す。
小さな出会いが少しづつご縁になって、出会ってきた
人たちの優しさを実感している。
そんな皆さんに感謝を届けたい。
そして、愛と平和な世界を思う気持を、自分なりに
表現したい。
せいぜい2時間の小さな世界。
演劇でも、コンサートでも、映画でも・・・。
しばし、現実の世界とは違う、夢の世界を表現できる
のだ。
おいでいただける方ひとり一人にその気持が伝わる
ように・・・。
と、まだまだ思案中。
長崎の朝の空を思い出しながら・・・。

いろいろ演じる、プチ挑戦。
どうせやるなら、毎回違うこともやってみたい。やらねば。
同じことを何度も続けているのでは、面白くない。
今回の長崎でのバレンタインコンサートへは、そんな思いが
こみ上げる。
実は、ずっと前から何かできないか…と思っていたが、
火が付くまでに時間がかかる。
脚本作家のさっちゃんと何かしたい。
彼女の劇のなかで、自分の作品は何度か使っていただき、
時には生演奏でも出演させていただいたが、
今度は自分のコンサートでコラボができないか・・・。
昨年末の大晦日。
「まじでやります!」
と京都のカフェで話し合う。
そこから2か月・・・。本番に向かって暦は進む。
「書いてみました~」
自分の曲を活かしつつ、そこに入るまでの数分を
朗読劇で楽しんでいただくという企画。
ZOOMの画面共有で、初めて台本を見せてもらう。
「じゃ、マーサさんは〇〇の役の方を読んでくれますか?」
ということで、所見でかけあいがはじまる。
自分のコンサートのために書き下ろしていただき
胸がいっぱいになった。
もう本番まで1週間となった。
そんな小さな挑戦も試みながら、これまでにない、
新しいステージにしたいと思い、ネジを巻く。
演奏も演じる芸である。
そこに新たな挑戦を加えて、オリジナリティあふれる
心豊かな時間にしたい。
もっと考えよう、まだまだ考えよう。
このカウントダウンが心地よい緊張感になる。
視野を広く、視座を高く、視点を鋭く。
狭い世界の中で生きていると、その中でしか物事が見えない。
そこで安心してしまうと、イレギュラーへの対応が難しいこともある。
いろんな世界を見る、異業種、異世代、異国、異性、異教・・・
自分と違う人との交流を大切にし、さまざまな情報を得ながら、
見える世界を大きくしていくことで、日々直面する出来事にも、
動じることなく、大きな心で向き合うことができる。
ああ、そういう人もいる。そんなこともある。
いろんな事実を前向きに受け入れることができるようになるのでは
ないかと思う。視野を広げ続けることはとても大切だ。
そして、なるべく俯瞰して世界を見るようにする。
高い位置に自分がいることで、さまざまな事象が客観的に見えて、
解決、対処法も見えてくる。
もうお会いすることはできないが、長年お世話になり、親しくして
いただいた作家の野村正樹さんは、20年以上前から、「視座をもとう」
という言葉を何度も書き、語っておられたことを、今改めて思い出す。
全体を見る、客観的に見る。そのために高いところから物事を見る
ようにする。
このことは、今も心掛けているが、もっと意識したい。
このように視るという行為は、社会の中で生きていくために大変重要
であるが、単に広く、高く見るだけではなく、どこが大切か、重要かを
常に見極める力も大切だ。
この仕事をしていて、時々、「的確なアドバイスをいただきありがとう
ございます」と言っていただき、安堵することがある。
ポイントが合っていないと、役に立たない。
どこから見ているか、どこを見ているか。鋭い視点は重要だ。
よく視ながら、考え、表現し、行動する。もっともっと意識したい。
新たな職業名は?
おかげさまで、施設での演奏活動が増えている。お声をかけていただき、
喜んでいただくことがとてもうれしい。
4年前からスタートした出前・出張コンサートの一環である。
施設ではチラシや資料を作ってくださり、利用者のご家族や
地域の皆様や、関係者にも配布、共有いただくこともある。
そんななか、「コミュニケーションクリエイター 今尾昌子さん」
と書いてくださる例も多いが、これは施設などの演奏の場では
よく伝わらない表現だ。
コミュニケーションにまつわるいろんなことをする人。という
ことを理解していただける方には、もちろん27年間、大切にして
きたこのショルダーネームはとても良いし、オンリーワンであり
気に入っている。
しかし、音楽だけでの関係の方にはもっとわかりやすい表現が
必要だ。
ときに、シンガーソングライター・ミュージシャン。愛の元気人
などの表現もしてきたけれど、もっと他に何かないかと考え続け
ていた。また、人生の後半になったら、いつまでもカタカナの
職業だけでなく〇〇家と表現したいとも思っていた。
そこで、つい2~3日前のこと。
次のコンサートのチラシの確認を求められた。
公式サイトを見ていただいたり、関係者から伝言されたのだろう。
やはり「ゲスト コミュニケーション・クリエイター 今尾昌子
さん」となっていたので、今こそ、チェンジ!と、
「愛と元気を届ける音楽家」に変更していただくようお願いした。
音楽家、建築家、政治家(今は少ない)、宗教家と、いろいろ
家が付く職業はあるが、この語源の意味は、もともとは代々家で
受け継がれる職業という意味があったのかもしれないが、
自分ではまだ正解にたどり着いていない。
ただ、過去を見れば、その道のプロであるということを表して
いる。
だから、〇〇家 という表現には、ずっと憧れがある。
そして、自分しかない職業 へのこだわりも持ち続けている。
だから、単なる音楽家ではダメだ。相対的ではない職業を。
ということで、
これから、音楽だけで接点をもつ場面では、
「愛と元気を届ける音楽家」として、伝えていこうと
思っている。
もちろん、今後、変化・進化していくことは良いと思っている。
技術は大したことはないけれど、全身全霊で愛と元気を届ける
音楽家として、必要としてくださる方に恩返しをしたい。
常に自分は何者かを考え続けること、なりたい自分になって
行く努力を楽しみながらしていきたい。
もちろん、
いくつかの顔をもつ、コミュニケーション・クリエイターは
自分の存在のベース。そこからいろんな顔が生まれる。
恒例の朝カツ始まる。
新しいレパートリーを増やしたいとき、そろそろ喉をしっかり
開きたいとき、違う世界を描きたいとき。
コンサートが近づくと始める、朝カツ。
これは、朝のカラオケである。
マンションでは発声練習もできないのと、楽器も思う存分は
弾けないため、隠れた練習場としてカラオケは何か都合が
良い。しかも、1時間ワンコインで利用できる朝時間。
そんな朝早くから、カラオケに行く人がいるのか?と思って
いたが、意外に利用者はいるようだ。
以前、マジシャンの知人やマーケティングの先輩方も
平日、ひとりカラオケでいろいろ秘密のトレーニングを
していると聞いたことがあり、そんな利用法もあるのか
と思っていたが、やってみるとなかなか良い。
少し声を出す、歌ったことのない曲を試す、著名な
歌手たちのシルエットを見ながら、表情を学ぶ。
そんな学びの場としても、有効なワンコインの朝カツ。
本当は、毎日ずっと続ければよいがそれはできないため、
期間限定、しかもできる日だけ。
そろそろ、組み立てをしなければ。
企画をするときにも、この朝カツは有効だ。
「愛」にまつわる曲をいろいろ試しているが、
愛を歌う曲は実に多い。
生きる、愛する・・よく考えればモチーフや背景はいろいろ
あれど、歌の多くはこれらがテーマだ。
いろんな人生、さまざまな愛。
それらが、ひとつの楽曲に描かれ、刻まれているのだ。
そう、カラオケは歌の百科事典、図書館でもある。
ワンコインで無限の学び。
1時間したら、外に出て 普段の世界に戻る。
このギャップもなんとも面白い。
さあ、本番までそろそろ・・・。
毎日自身を追い込んでいく。
片道年賀状。
この正月には、久しぶりにわずかであるが年賀状を出した。
返事はゆっくりと届く。
そのカタチはさまざまで、ハガキで戻ってくる場合、メールでの
お礼、そして電話。
1枚のはがきを出しただけでも、とても喜んでくださる方もおられ、
ああ、良かったと思う。ささやかなご挨拶で、元気になる方も
おられるようだ。
「ありがとうね、ありがとうね。」
とくに高齢になり動けなくなってきた人にとっての1枚のはがき
は、思いがけない贈り物になるのかもしれない。
返信をいただき、お元気な様子が伝わると、安心もする。
おそらく年賀状にはご無沙汰していても、途切れない関係を
確認する大切な機会なのだろう。
でも、返信が来ない場合もある。
悲しいけれど、年々、その数も増えている。
今年は、少し思い切って、お元気ならいいなと思ってお送りした
方もいる。
お元気ならば何らかの反応があるはず、あるといい・・。と
思い、少し勇気を出して送ってみたけれど・・・。
コミュニケーションは元気であってこそ成り立つもの。
生きているからこそのキャッチボール。
大好きだった先輩や上司たちと、そんなやりとりが年々
少なくなっていくことは、とても寂しい。
でも、
覚えている限り、気になる以上、
「お元気ですか?」と、
声をかけたい。
大切な方々からいただいた貴重なハガキを大切に
とってある。これは自分にとっての宝物だ。
もう来ることのない最後の年賀状。
これは永遠の年賀状でもある。