幸せな気持ちを届ける日に!

♪さくっ ふわっ とろっ にこっ♪

この一節からはじまる曲は、シュークリームの美味しさを
現している。

今日は京都で創業70周年を迎える洋菓子屋さんの記念イベント。
そこで、オリジナルのこの曲を演奏する予定。

企業の大きな節目の機会に、演奏という役割をいただき、
改めて思うと感慨深く、ありがたく、当日の朝になって、
緊張感も高まってくる。

少しでも、お集りになる関係者の皆さんが、このひとときを
佳き記念としていただけるよう、音楽がその一助となればと
思う。

創業から70年とは、改めてスゴイと思う。
京都には百年企業も多いが、ケーキ屋さんの歴史は戦後の
経済成長とともに誕生、そして発展、今日にいたる。
皆ががんばってきたあの時代、家庭のだんらんを楽しみにした
あの時代に、プチ非日常の幸せを届ける身近な存在として、
愛されてきた。
私自身も、この時代に育った一人として、ケーキ屋さんへの
憧れは今も変わらない。

強い思いがあってこその、この歴史。
創業者の思いを支え続けたご家族・従業員の皆さんに
心からお祝いを申し上げたい。

これからも、幸せを地域に、日本に、そして世界にも
伝え続けてほしい。

そんな思いを抱きながら、今日も京都へ。
心を込めてお祝いの気持ちを伝えたい。https://www.kyoto-hiroya.co.jp/

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曲が先か、歌詞が先か・・・。

ある地方紙を見ていて、動物園のテーマソングをつくるらしく、
「作〇募集」という見出しをみつけ、「これは!」とすぐ
その記事を読んだが、やめた。作詞のみの募集であった。
作曲はある著名な方がされるとのこと。

曲づくりは、歌詞が先か、メロディが先か。
と問われたら、自分の場合は、まず最初にメロディーあり。
でも、入れたい言葉はいくつか既に頭の中にあることが多い。

いい旋律が生まれて、カタチになってきたところで歌詞を
つける。メロディがあって、そこに言葉をはめて、整えて
いく。
曲と歌詞を同時につくっていくが、最初の発想は音楽からだ。

これをテーマにしたいと思って、あれこれイメージしている
と、ふと浮かんでくる。

ある音楽家の方が、「曲はあるとき、降りてくるんですよね」
と言われていたことがあるが、まさにそうだ。
私の場合は、歩いている時、信号待ちの時に降りてきて
それをすぐ録音する。そこから曲作りがはじまる。

ということで、歌詞が先にありきだとどうなる?
歌詞があっても、メロディにあわせて、見直したり一部編集
しないと、字余りや、調和がとれない箇所も出てくると思うが、
ま、人によってやりやすい方法もあるので、好きなやり方で
良い。ただ、今回は歌詞だけ募集ということで、断念。
またいい機会があれば・・・。

話は変わるが、最近、「シュークリームの歌」をつくった。
楽しい曲、美味しそうな感じ、幸せが伝わる曲にしたいな・・
といろいろ思いを巡らせ、カタチにする。

曲をつくるときには、
その曲で表現したい世界をまず思い浮かべると、その世界での登場人物が
現れ、メロディが頭に流れてきて、物語ができる。
そこから歌詞が生まれる。
やっぱり、私の場合は、まず曲ありき。

その前に、思いありき。こんな思いを伝えたい。
ここからはじまる。

その曲は明日が初お披露目となる。

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愛に恵まれて、この上なく。

最近、これまで歩んできた日々をふりかえり、その
時代時代を思い出すことが増えている。
とくにさまざまな音楽に触れると、そこから回想が
はじまる。

気が付けば、お別れしなければならないことが増え、
お世話になっている人とも、いつかは
会えなくなるのだという現実が、過去をみつめる
きっかけになっているのかもしれない。
両親をはじめ、上司、先輩・・・・。
返事のない携帯電話、メールアドレスは消去せず
そのままにしてある。

半世紀以上生きてきて、人生も後半にさしかかった。
おかげさまで、本当にいろんな出会いをいただいた。
飛行機の飛行マイルは1ミリオンをとうに越えて、
地球を何週も回ってきているようだ。
その距離はどうでもいいが、その移動で生まれた出会いが
人生を豊かにしてくれた。

公私にわたり、本当に多くの方にお世話になり、とても
優しくしていただいた。
数えきれないほどの優しさをいただいてきている。
目を閉じると、世界中で出会った人、身近なところで
ともに時間を過ごした人達の笑顔が次々と湧いてくる。
みんな、どうしているかな?
また、いつか会えたらいい。
ふりかえれば、楽しいことばかり、うれしかったこと
ばかり。
もう会えない人たちのことも、こちらが覚えている限り
その絆は変わらない。

愛こそ、人生で一番重要なこと。
お金にも、何にも代えられない。

今のところ、本当にありがたき愛に支えられ、
幸せを感じながら、生きさせていただいている。
このままずっと進んでいけるように。

愛に包まれて、本当にこの上なき、幸せなわが人生。

と思うほどに。
いただいた愛をこれから返しにいく。
それがこれからの人生。
今日も愛ある1日を。

この上なく幸せな人生だと思えることに
幸せを感じる。
不安な世の中でも、そんな気持ち次第で、
人生は良くなる。


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バラードな人生を生きたい

「バラード」という言葉は、子供の頃から知ってはいる。
大人のイメージがあるため、背伸びしたような感じで、
憧れをもっていた。
クラシックではショパンなどが有名であるが、中世フランス
などで歌われた抒情詩のスタイル「バラッド」。それが
バラードのルーツとも言われている。詩の世界はよくわから
ないが、韻を踏む形であったようなので、音楽に近い表現だった
のでは?と勝手に想像するが、とにかく抒情的、感情豊かな
表現の形式が、広義のバラードではないかと思っている。

とくに愛を表現する詩的な、美しい旋律とリズムを聞かせて
くれる・・。私にとっては、そこがバラードの魅力。

もちろんショパンのバラードも素敵であるが、難しい
技術が必要な音楽だけでなく、日本の歌にも素敵なバラードは
多数ある。
私が好きな歌のジャンルのひとつは、まさにバラード。
もちろんジャズも、シャンソンも、ファドも、時に演歌も
いいが、バラードは最近、心に沁みる。

なぜか、聴いていると、その情景がくっきりと浮かんでくる。
まるで映画を見ているような、もしくは自分がその世界に
いるような、主人公になったような気持になる。
情感豊かなメロディとスローなテンポで刻まれる伴奏が
自然と心の中に入ってくる。

幼い頃、若い時代には、バラードの曲の歌詞をよく聞き、
意味を理解して歌を歌うということは難しかったが、
今は違う。
メロディに乗せ現れてくる言葉ひとつひとつを
しっかりと心に刻むことで、情景が浮かぶ。
そして、物語が見える。

そんな世界を届けてくれるバラードが
とても気に入っている。

とくに、昭和40年代に爆発的にヒットした「雨のバラード」。
あるきっかけで、ここのところ、集中的に聴き、覚えるように
している。
ああ、こんなにいい曲だったのかと、何十回も聴きながら
自分なりにドラマを楽しみ、感動している。
湯原正幸、尾崎紀世彦の違う声質で、違う場面が
浮かんでくるから、歌手と言う表現者の仕事も
奥が深い。
また湯原正幸の現役ぶりも見事で、歌手とはカッコよく
なければならない、そして人々に夢を与える職業なのだ
ということを教えてくれる。
老いを感じない声も、歌いっぷりも素晴らしい。
そして、布施明が歌うバラードもとても心に響く。
言葉を大切に紡ぐことが、バラードを歌うコツなのだと
学ばせてもらっている。

バラードは人生の物語を紡ぐかたち。
ぜひ、バラードが似合う人生にしたい。

人生に、美しい物語を残したい、刻みたい。
と思う年齢になったのかもしれない。

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内側から沸き起こる仕事を

町の洋菓子屋さん。
家族や地域の人の力を借りて、自分たちの腕と感性と
人柄と地域との関係性のなかで、育まれる仕事。
そんなイメージをもっている。

一方、規模を拡大し、大量生産になっていくと、
手作りでは対応できず、モノづくりは「製造」となり、
機械化されていくが、
そうでなく小さな規模であれば、経営者の思いを
お店全体に、商品ひとつひとつに行き渡されることができ、
納得のいく仕事ができる。
そういったお店での手作り商品は、本当に美味しい。
職人の魂が、ひとつひとつのお菓子に込められているから。

とはいえ、それをずっと長く続けることは容易ではない。
並々ならぬ、努力があってこそ、お店を続けることが
できる。

今回、地道にお菓子づくりをされてきた企業さんの
周年のお祝いの席で、演奏をさせていただくことになった。
偶然の再会からそういう展開になり、今となっては、
奇跡的な話である。
再会して直後の会話で、「うち来年70周年なんです~」
との一言から、いろんなことが動き出した。
気が付けば、お祝いの曲でも・・・と思い、準備をする
自分がいる。

内側から湧いてくる仕事。
こうしたらいい。こうしたら喜ぶのでは?ああしたら??
と、自分の中でふつふつと湧いてくるものを、
うなりながら、カタチにする瞬間に、クリエイティブの
歓びを感じる。
パソコンやタブレットの前で、顔も見たことのない相手に
問いかけて、すぐに出てくる答えを待つのとは違って、
生みの苦しみがある。
そんな仕事がやはり好きだし、ケーキ屋さんの仕事も
同じだと思う。

内側から沸き起こる気持ち。誰かのためにと
思う仕事。
その「誰かのために」は結果、自分の歓びにもなる。

生みの苦しみがあるからこそ、できたときがうれしい。
喜んでもらったら、尚幸せ。

今こそ、内側から沸き起こる発想を大切にしたい。
そのために、自分の中にいっぱい引き出しをもって
いなければと思う。
自分の経験がたくさんあってこそ、発想やアイデアは
湧いてくるのだから。



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抗う人、流される人。

先日、面白い会話に出会う場面に遭遇した。
「マーサさんは、抗う人ですか?
 私は、流される人ですが・・・。」
とても面白いと思った。
その人は、世の中に何か新しいモノが出てくると
すぐにそれを使ってみるタイプのようだ。
私からすると、器用で、素直な人だと尊敬する。

自分の場合は、何か新しいツールや技術が出てくると
どんなものであるかは知りたいが、すぐには手を出さない。
これは本当は、大丈夫か?
メリットとデメリット、作用と副作用
の両方を見て、納得しなければ使わない。
手段や方法よりも、目的や意味を問うことを優先する。
と、そんな傾向がある。

みんながどんなに、これはいいと言っても、
ちょっとおかしいと思ったら、距離を置きながら
観察し、様子を見ることから始める。
俯瞰しながら、時に懐疑的でありたいと思っている。

先日ある会社員の方との会話で、「自分は多数決は好きではない」
という声を聴いて、自分より若い世代の人のなかにも
そういう人もいるのだと、頼もしく思った。
どんなときにも少数派はいていいし、いないと
いけないし、時に反対の意志を示すことも必要だ。
もちろん示し方、表現方法は考えなければいけないが。

流される人よりも、いい意味で流す人。
そして抗うのではなく、見極めができ、
自分なりの考え、判断ができ、行動が興せる人。

そんな人になりたいと思う。
ここに向かうには、生きる時間と多くの経験があってこそ
の長い道のりかもしれないが。

若いうちは、ある程度、流される時間もあってもよいのかも
しれない。でも、おぼれないように、思わぬ方向へ流されないように
「気を付けて」、とは言っておきたい。

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誰と話す?暮らす?生きる?

ビジネスでもそれ以外ででも、AIが話題に出ない日はないほどに、
AIは日常生活で、いつのまにか不可欠な存在になっている。
パソコンを開き、何かを調べようとすれば、すぐに答えが返って
くる。これが当たり前になりつつあること自体に、慣れてはいけない
と思いながらも、気が付けば隣に、そこにいる。と言う感じ。
顔は見えないけれど、まるで人格があるかのように。

最近、文章を書く仕事をする知人との会話でも、よくAIに相談
し、かなりのやりとりをしていると聞き、正直、驚いた。
まあ、AIで小説を書く人もいるぐらいだから、わからなくはない
が、身近な人もそんなに使いまくっているとは・・・。
学習させることで、自分のことも一定の認識をして
くれるし、情報をさらに与えれば、それについても反応して
くる。膨大なデータベースから、必要な情報を瞬時に取り出して
くれる、自分にはない目線でヒントをくれるから、助かる。と
いい、そして、ひとり暮らしだから、誰も相談できないし、
ずっとAIに聴いている。それが日常になっているとのこと。

また別の近しい人の場合。怪我をしても、何か困りごとが
あっても、探し物があっても、「チャッピーに聞くから
いいわ」と言い、毎日スマホやアイパッドに向かっている。

「それはこうした方がいいよ」と、人間が経験に基づき
アドバイスしても、「いや、もう聞いたからいいわ」
と、人との会話よりも、AIからの情報を信じる・・と
そんなこともあり、何とも言えない気持ちになる。

AIの物言いは、一見優しいから、その気になるという
一面もある。感情がない分、冷静に受け止められる。
怒っていわないから・・。
とそんなことも最近話題になった。
なるほど。そういう意味では、AIのコミュニケーション力は
その点でもスゴイと思う。

瞬時に、それなりの答えを冷静に与えてくれることに
感謝しよう。そしてうまく活用しよう。
そして、それも生かしながら、
人と人の対話、関係が豊かになるようにしたい。
と、改めて思う。

人間同士のつながりを、これまで以上に大切にしたい。

少子化だからといって、高齢化社会だからといって、
AIがいれば大丈夫。ということにはならない。
助けてくれるけれど、それで幸せになれるかは?

最後まで、人間しかできないこと、人間だからこそ
できること。
人間とは、人の間と書く・・・それを忘れず、
真のコミュニケーションについて問い続けたい。

人間は道具を生み出し、そしてその道具に使われる。
今改めて、哲学を学ばねば・・・。
人として生きるために・・。


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あじさいブーケを贈る

長年お仕事をがんばってこられた方に、仲間と一緒に
ブーケを贈ろうという話になり、手配係を承る。
お花屋さんにいろんな希望を伝えつつ、
花の専門家のセンスに期待しながら、出来上がりを待つ。

花を贈った相手とは、20年ほどのおつきあいになる。
そして、近年、あじさいの会話を何度かした記憶があり、
季節柄も含め、それをメインにして、それに合う花を
一緒に束ねていただいた。

これまで、あじさいをブーケにして贈ったことはなかったけれど、
一輪のなかに多くの小さな花を咲かせているその様が、
人生の努力の結実にも見えて、「お疲れ様でした!」の意味を
込めて贈りたいと思った。

花には大輪の花もあり、真っ赤で目を惹く花もあるが、
あじさいには違う存在感がある。
またこの花は、色ごとに違う花言葉があるそうであるが、
たまたま今回お願いした花屋さんが入れたこのblueだと、
辛抱強い愛情という意味合いもあるとか?
長く地道にがんばってきた人の努力を現していると
解釈しても良いだろう。

気が付けば、人に花を贈る機会は増えてきた。
元気に本人に直接渡せることがうれしい。

40年以上もひたむきにがんばってきた人に。
敬意を、感謝を込めて。
そして、新たな出発のエールも・・・。

いろんな気持を込めるときにも、あじさいは
適している。

この季節だから、の思いを
大切にしたい。


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「時代」を今こそ思う。

中島みゆきがヤマハのポプコンで華々しいデビューを
飾った当時、毎日のようにヤマハの教室に通っていて、
なんだかとてもまぶしく思ったし、レッスンではすぐに
「時代」を習い、子どもながらにわけもわからず、
歌い、弾いていた頃。
今から思ったら、あんなに若かった中島みゆきが、その
当時に「時代」なんて、まるで人生を俯瞰したかのよ
うな曲が書けたとは、本当に驚き。今書いてもおかしく
ないぐらいの、人生を俯瞰した曲。
今朝、なぜかそのメロディが頭を流れ続けている。

最近、時代を感じることが多いせいかもしれない。
仕事では、平成生まれの人とのやりとりが増えている。
とくに2000年以降に生まれた人達が、社会人として
活躍しはじめている。
いろんな価値観や常識が違うと思いつつ、まあ、そういう
時代だと思い、理解をするようにしている。そんななかで
生まれる共感は、なんとも愛おしい。

デジタル社会の中で育ってきた人は、コミュニケーション
の取り方ひとつとっても、自分たちの若かったころとは
違う。そして、彼らは昭和の時代を、カバーしたり
リメイクして自分たちなりに、新しくして取り入れ、
楽しんでいる。
化粧の仕方、髪色の違いを超えて、今、異世代の人との
交流をしながら、後も生きる彼ら彼女らに、何かひとつ
でも、役立つことが伝えられたらと、お節介おばさんな
自分もいる。

一方、昭和の時代を教えていただいたさまざまな先輩
との交流も頑張って続けている。
がんばらないと、そのうち会えなくなってしまうと
そんな気がしている。
新宿の青春時代。お世話になったママさん。
今も変わらず、アナログな生き方を貫いておられ、
ネットも、スマホも、CDでさえも、「使えないの~」と
もっぱらテレビ、ラジオ、そして本と人との
コミュニケーションで生きておられる。
手紙を大切にされている。字もきれいで、丁寧だ。
そういう生き方もあるんだ。
そんな時代だった。
新宿歌舞伎町の夜の世界は、わが人生の青春の
一コマ。あの頃は、日本中が賑わっていた。
なんだか、みんなよく働いた。
東京は眠らない町なんだぞ。と30歳で東京に
転勤した自分を鼓舞してくれた上司。
ハラスメントとかそんな言葉もなくて、なんだか
面白かった。人と人、肌と肌がぶつかりあって
生きていた・・。そう、そんな時代。

そんな時代もあったねと・・・と
今、まさにそんな心境でもあるが、
まだまだ時代は続く。回る。
変わるけど、また巡る。

今の時代を存分に生きよう。

そして、昭和の時代を大切に。
一緒に生きた人達との思い出を大事に
持ち続け、笑顔であり続けたい。
日本が輝いていた頃。
そんな時代がありましたとさ・・・。
で終わらせてはいけない。

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あじさい日記の季節に。

実家の庭に咲いた紫色のあじさい。
「今年も咲きましたか!」
つい、声に出てしまう。

漢字で書けば、紫陽花。ピンクや水色もあれど、やはり
名のごとく、この花は紫に限る。
そして、この花をみると、やっぱり今年も母を思い出す。
せっせと庭仕事をしていた頃のことだ。
その主人がもういなくなって5年以上経つが、叔父のおかげで
この花たちは今年も無事に開花。

それにしても、雨によく似合うなあ。
主人がいなくなったあとにも咲いた花を見てつくった
「あじさい日記」。
この曲が似合う季節が今年もやってきた。
早速、実家のピアノで、ひとり弾き歌い。
雨の日、ピアノ、あじさいの組み合わせは、なかなか。

「あじさいの花、ちょっと使いますので~。」
育ての親、叔父さんにメールで一言断ってから、
少し花をいただき、
自宅と実家にそれぞれ飾る。
「今が一番いい季節。どんどん使って」
お言葉に甘えて・・。

母のあじさい。笑っているような?
梅雨になった。
心の恵みにもなってくれたらいい。

しばらく、この花をめでながら、心穏やかに
時を刻みたい。

あじさい日記の歌詞はこちら。

https://www.mahsa.jp/creation/newcd2024/#

※スタジオで収録した動画もご覧いただけます。

https://www.mahsa.jp/creation/

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