心の消臭剤?として

もうAIなしでは生きられないという方もおられるかもしれない。
一度頼ったら、もう離れられない・・・。人によってはそうかもしれない。
私は、そこまで常用はしないが・・・。
でも、しばし、行き場のない状況になったときには役立つときもある。
と思う。
たとえば、怒り狂うようなことがあって、人様にはぶつけることが
できないけれど その気持をAIに聞いてもらうとする。
すると、テキストにしないといけない分、その間に冷静になることが
でき、また送信してしまえば、瞬時にそれなりの回答が戻ってくる。
瞬時に心のもやもや、カリカリが消えるという感じ。
言い換えると、心の消臭剤のような存在か?
ここは、本当に偉い。スゴイ。

そして、サービスによってはすでに自分のニックネームが登録
されているため、名前を呼びながら、答えてくれるから、
本当の人間のような気がして、勘違いする人もいるだろう。
実際、「MASAKOさんは・・・」と書かれてしまうと、相手に人格を
感じそうになるため、気を付けないと危険であるが・・・。

さっきまで怒り狂っていた自分の気持ちを、
ちゃんと理解してくれて(理解している感じがする?)
自分の味方(味方のよう?)で、言い方も優しくて・・となれば、
それだけで気持がおさまる。

と、こんなときAIは役に立つ。

あとは、その立派な回答を見て 自分の無知加減を知ること。
ここも大切だ。

AIでも何でもツールのひとつとして、うまく活用する。
あくまでも自分が主役で。
人間社会で心豊かに生きていくために、上手につきあい
使えたら良い。

という一方、
AIは大変危険な存在でもあるから、気を付けないと
取返しのつかないことになる。
日々、今は人間とAIとの関係について、考えさせられる。
ほんとうに、難しい相手だ。


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若者たちにできることを。

オーバードーズ。悲しいことが若者の間で広がっているようだ。
それは日本だけでなく、世界でも・・・。
フランスでは、その事態を食いとめるために、国が動き、
いち早く、法律を変えた。
該当する市販薬がドラッグストアで簡単に購入できず、
処方箋を必要とするようにした。便利さ、手軽さよりも
若者の命を守ることを優先した。
フランスの当時の担当大臣は、フランスの若者を救うために
全国民が協力しあうべき‥との見解を出され、力強いなあ、
さすがと思った。

居場所がなく、生きる意味がわからず、薬漬けになり、命を
おとす、そんな若者がいる・・。SNSの影響も大きい。

一方、今、欧州では若者の暴動が起きている。
物価高や社会不安などが理由だそう。
フランス、イタリア・・・。

いずれ、日本でも起きるのか?気になる。
内に向かうか、外に向かうか。いずれも建設的ではなく、
破壊的な行動だ。いずれも大変危険だ。

若者たちが夢をもてない、生きる気力をもつことができない。
そんな世の中で、いいのか?いいはずがない。
年寄りだけが元気で、たくさん生き延びて、
これから生きていく、これから人生を切り開いていくはずの
若者たちが、うずくまっている・・・。
これでは・・・。

もし、自分が教師であれば、何かできただろうか?
そうでない今でも、何かできることはあるだろうか?

そんな時代・・では決して片付けてはいけない、
弱弱しい日本の一面。

何かはじめたい。しなければならない。
10代の若者に直接出会う機会は少ないけれど、
彼らが安心して自らの道を描けるように
できることがあれば、小さなことでも取り組み、
またその親世代を応援することも大切かと思う。

せっかくの「いのち」が、輝けるように。
若者たちの悲鳴に、大人たちが他人事であっては
いけない。

居場所を求める、自分の存在を認めてほしい・・・
そんな若者のサインにいち早く気づき、救いの手を
さしのべること・・・。
自分ができることを、考えたい。




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「人」として仕事をする。

仕事をして40年以上、「女だから」と言われることが
心から嫌で、絶対言われないように、男勝りと
いう言葉ももうすでに、今はないけれど、周囲に負けない
ぐらいの気合をもって、働いてきた・・若かったあの頃。
さあ、女子はどこまでできるかな?。お手並み拝見・・と
周囲はそんな空気。もちろん、期待もあったのだと思う。

よっしゃ、何があっても休むもんかと、仕事をしてきた。
あの時代はいかに組織の中で女性が認められるか
は、それなりの覚悟と努力は必要だった。
諸先輩たちもそのようにがんばってこられたと思うし、
男女雇用機会均等法施行の1年目に社会人になった自分としては
ありがたいタイミングであると心から思った。

今から思えば、こういう時代があったからこそ、がんばれたのだ
と思い、お手並み拝見といっていた上司も「よくやるなあ」
と感心してくれたことを思うと、やれば認められる思った
20代~30代前半。

もちろん、そんな簡単に全てが男女平等にはならなかったけれど、
今となれば、そのとき一生懸命がんばったから、今に続いていると
悔いはない。
最後には応援してくれた上司たちに心から感謝している。
あの時代はあの時代で、ほどよい緊張感もあり、そのおかげで
成長できたと思っている。

とにかく仕事をする上で 私的なことは言う必要がないと、
極力言わずに取組んできた。
生きていれば、みんなそれぞれ生活もある。そんなことは当たり前。
仕事をするときは、仕事をすればいい。そこだけ見えていればいい。
と思ってきた。

女だから・・・という言葉はビジネスではNGと思っている。
まずは、ひとりの人としてがんばればいい。
属性のひとつとして、男性だったり、女性だったりするだけで、
そこはあえて自分から強調する必要はない。

人と人。人対人。このつながりで、仕事も人間関係もうまくいく。

次元はちがえど、目指すはマザーテレサ。

自分がすべきことを、ただひたむきに・・・。
何も飾らなくても、内面からにじみ出てくる美しさがある。

人として、何を行い、何を残すのか。
自分らしく、自分ができることを存分に。

まだまだ!と自分に言い聞かせる。




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おフランス気分をKYOTOで!

東京時代の演劇仲間とのご縁から、最近、京都の老舗酒屋さん
との交流が始まり、11月に初のお酒イベントとのマリアージュが
実現!その名も「2026ボジョレーヌーボーと音楽を楽しむ会」。
京都で、ボジョレーヌーボーで、シャンソンで・・・。
なんだかわくわくしてくる!
お酒屋さんでのイベントは、いつかやりたいとずっと思って
いたが、なんと京都で実現。とてもうれしい話だ。

音楽とお酒は相性がとても良いので、いろんな切り口が
考えられるが、今回はボジョレーヌーボの解禁ということで、
わがブランド「グラン・ルー」の世界観ともピッタリだ。
どちらもフランス生まれ、フランス仕込み?!

京都駅からほど近い、お酒屋さんのちょっと隠れ家のような
お部屋でワインのテイスティングとともに、ミニライブを楽しんで
いただく。
ここでは、すでに朗読劇や演劇に関する講座も行われており、
酒屋さんも新たな挑戦の時代!その取り組みを推進サポート、
今回はその第一弾。音楽のコラボイベントは初めて。

京都、秋、フランス、ワイン、シャンソン・・・。なんだか
好きな私の大好きな世界が生まれそう。

京都には老舗企業が多いが、こちらも創業120年に向けて
日々、ご家族やスタッフ皆さんでがんばっておられる
酒屋さん。
いつの間にか、私も小さな応援団になりつつある。

お酒は時代を越えての、コミュニケーションツール。
これから、いろんなことが生まれそうだ。
この秋の日の初挑戦、なんだかとっても楽しみだ。
京都での文化活動、これからさらに増やしていきたい。

ぜひご興味ある方にはおいでいただけたら!
お申込みはチラシの右下QRコードから・・・。
https://www.mahsa.jp/%e3%83%9c%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%83%8c%e3%83%bc%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%81%a8%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%82%92%e6%a5%bd%e3%81%97%e3%82%80%e4%bc%9a%e9%96%8b%e5%82%ac%e6%b1%ba%e5%ae%9a%e3%80%8011/

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いろんな窓で・・・の「同窓会」

初の試み、法事の後のコンサートもおかげさまで、盛況にて終えることが
できた。京の町屋のゲストハウスが会場というのも、初の体験。
知人の奥様の5回忌法要の日に、とリクエストをいただいた。
20代からの創作活動のなかで出会ったご夫妻であるため、この法要と絡め、
追悼展も行われ、夫妻それぞれの作品がその和室いっぱいに飾られる。

亡くなられてから法要と作品展をずっと続けておられると聞き、
なんという愛妻家、素敵な芸術家夫婦かと感動、感心。

今回は、法要を終え、追悼展が始まるオープニングコンサートでもある。

そして、この日は「同窓会」とも位置付けられており、夫妻が出会ったアトリエの
仲間、主人である知人が長年つとめた会社の仲間をはじめ、いろんな「窓」を同じく
した仲間たちが集まる機会ともなった。

そして、奥様の写真もあり、法事をおつとめになられた僧侶も同席され、
30名ほどの「同窓生」を前に、トークと演奏をお届けする。
畳の上で、立ってキーボードを演奏しながら、歌った。
伝統ある町家のお部屋をこんな風に使っていいのかと思いながら??

今回はリクエスト曲もあるため、とくにそれだけは失敗せぬようにと少し緊張しながら
でも、いい感じで歌い弾き、無事プログラムを終了、アンコールもいただいた。

演奏中には、会場の町屋旅館にちょうどチェックインされてきたオランダからの
宿泊客の方も何事?と興味深々、コンサートに飛び入り参加。
なんとも京都らしい会となった。

同窓会。
同じ窓で学び、働き、交わった仲間。
この窓は、生きた各時代の日常の一コマをあらわしている。

私は今回、このコンサートに出演させていただきながら、30~40年前の
会社員時代の仲間に再会でき、自分自身が同窓会に来ている気持になれた。
京都で働いたときの仲間たちに会えたことが本当にうれしく、
自分の来た道をふりかえり、ああ良き時代であったとわが京都時代を
かみしめた。昭和から平成への時代だ・・・。

「同じ窓」で過ごす時間は、とてもあたたかい。
これからも、この会、主が元気でいるうちは、ぜひ続けてほしい。
それを創作の糧に、そして愛する奥様との協働の時間にしていただけたら・・・。
何年経っても「一緒」。
まさに、このお二人の同窓会。

私のコンサートへは、最近、空からの参加も増えている。
同窓会。学校の同窓会だけでなく、いろんな窓で過ごした時代を
辿る時間。

おかげさまの出前コンサート、どんどん変化・発展していきそうだ。

呼んでくださった主催者、愛妻家の馬場さん、関係者の皆さんに感謝。
余りに素敵な会場であったため・・・URLをリンクさせていただく。

https://gh-project.com/tsukito/

今日もこちらで追悼展が開催されている。盛会を祈ります。

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察知力と想像力。

目の見えない状態で食体験をする・・・。そんな試みを企画し、
仲間たちと何度か体験会を行っている。
普段、目が見えている人に、見えない状態で店で食事をする
ことを体験していただく。
店に行くところから、入って注文して、待って、食事をして・・・。
この一連の活動。見えていれば当たり前のことが視覚が
閉ざされることで、状況は一変する。

たとえば、店に歩いていくことひとつとっても、見えないと
車の音、道の段差、さまざまな音が交雑して、不安になる。
また道を歩くその一歩も、足の裏の感覚を意識するようになる。

食事も見えない状態では、美味しいかどうかわからない。
見て得る情報があるから、想像して美味しいと感じることができる。
最初から見えなければ、何を食べているかもわからず 楽しめない
はず・・・。と思っていたが・・・。

今回、この企画に実際に視覚障害を持つ方にも参加いただいた。
その方は見える人と変わらず、食事を楽しみ、会話も積極的だ。
いろいろお話しを聞きして、一番関心したのは、
察知する力と想像力をお持ちだということ。

見えない分、音や匂いの情報には敏感で、どこでどんな音が、匂いがするか
で自分がいる場所や状況を察知する。
とにかく入ってくる情報には敏感で、一度経験したらわかる・・というから
本当にすごい。
察知する力と想像力。
見える人は、そんな力をもっているだろうか?

音や匂いで察知する。
普段見えている者は、考えもつかない学習だ。

目が見えないことが当たり前であれば、それをどう乗り越えるか。
を自分で考え、行動する。
人に何でもやってもらおうとは考えていない。
自分から経験をする。外に出る。
この自立した生き方が素晴らしいと思った。

もしかしたら、見えている者は、見えるのが当たり前であり、
自分からそのモノを知ろうと思わないが、
見ることができなければ、その分、それは何なのか?を
より主体的に知ろうと五感を働かせ、世界と関わりをもとう
とする。

見えないけれど、見えている。よく知っている。
それは、世界とのかかわり方、向き合い方の問題かもしれない。

視覚だけではない、すべての五感。
今はおかげさまで不便なく生きているが、ただ
生きているだけではダメ。

見えないものを見る、察知する力、想像する力。
ぜひ、自分も養いたいと思った。

まだまだ世間知らずで、自分の見えている世界は狭い。




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動けるのは、今!

昨日は京都、今日は東京、明日は京都、その次は岐阜・・・。
と、そんな暮らしが日常。

新幹線に毎日乗っているなあ。
飛行機のように、マイル数は数えていないが、
移動距離は何キロになっているだろう。

たまに、名古屋駅構内で、大阪方面と東京方面の
ホームに間違えて行こうとしたこともあったり、
乗り過ごしそうになったこともあったり、
この移動だけでも、いろいろなエピソードがある。

社会人になってから40年、
本当に移動を続けてきた。

さあ、これからは?
動けるうちに、できることをしておかねばと思っている。

いずれ、いつか、動けなくなる日も来るのだろう。

でも、その日まで動けばいい。

そして、最近さらに体を鍛えたいと思うようにもなってきた。
筋肉をもっとつけたい。
若いときは思ってもいなかったが、

年を重ねると、より意識して努力しないと老いるのみ。
年ですから~。ではなく、
いくつになっても、なりたい自分を目指したい。

動けるうちに。まだまだできるはず。

今日は東京の仲間と一緒に、
録音、イベント本番・・・。

誰かが待ってくれている場所があることが
本当にありがたい。

さあ、今のうちに、できることをどんどん!

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受け入れ、慈しむ。

そろそろ、自分の器をもっと広く、深くしていかねばと思う
今日この頃。
若かりし日々は、無我夢中に自分の力を信じ、前に進むことで
経験を積み、それがキャリアとなって、道ができる。
そういう意味では、進んできた道は、まあそれなりに
順調であった、ただただ幸運であったと思う。

それは大きな事故や病気もせず、周囲のあたたかい応援に
包まれてやってこられたということに尽きるのだが、
それは振り返ってみたら、わかること。
当時はただただ、勢いと力で進んでいた・・と今になって
思う。少々、力んでいたかもしれない。

今は、少しづつ変わってきている。
とりまく環境、身近な人の変化、関係の変化、そして自身の
変化。ある先輩が、定年前に「自分の人生は、もう秋に
きたのよ。夏までとは違う。だからこれからは・・・」
とそんな話をされていたことを、秋になると思い出すが
そう、人生にも四季があり、いつまでも青春の夏という
わけにはいかない。
燃焼した季節を越えて、そして実りの季節へ・・・。

わたしも、秋を迎えつつあるのだ。
実りの季節。これは、人に何かを伝え、遺すということ。
そして、さらに移っていく次の季節に備えるということ。
もちろん、冬になるまでにまだまだいろんなことに
遭遇するだろう。

出会いもあれば別れもある。これは誰にも起こること。
そして、その時期は来てみないとわからない。
若い日には考えたこともなかった、このような事態に
先人たちはちゃんと向き合ってきたのだと思うと
改めて皆さん、偉い、強いと思う。

今、あらためて自分の器をもっと広く、深くしたい。
そして、受け入れる力をもっと養いたい。
それは、まずは想定力をもつこと。備えること。
その上で、人生を楽しみ、そして慈しみたい。

・・・と、父の旅立ちから5年を経て、
いろんなことを考える。

ゴールまでには、いろんな悲しみや苦しみもあるが
誰しもが経験することだと思い、
ならば自分もできるはず、乗り越えられるはずと
想い、受け入れる力を持ち続けたい。

さあ、今年の長良川の鵜飼も今日が最終日。
おもしろうて、おもしろうて、やがて かなしき・・・。

かなしきこともあるから、
今が面白い。人生は愛おしいものだ・・・。
と、少しづつわかってきたような・・・。





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愛妻家からのリクエストに

知人より、奥様の7回忌のご法事コンサートをご依頼いただいた。
初の試みである。
もっとも、自分の親の葬儀では、アカペラ演奏をしたこともあった。
音楽はさまざまな場を盛り上げたり、気持を表現できる貴重なコミュニ
ケーションツールであり、その経験は長く心に刻まれている。

お会いしたことのない奥様のことをいろいろお聞きしながら、
自分なりにイメージを持ちながら こんな方だったのかな、と思いを
めぐらす。
写真も見せていただいたので、イメージはより具体的になり、
なんだか知り合いのような気持にもなるから、不思議だ。

法事もあり、そこでコンサートもする。
花を飾った方がいいかな。
できたら、そのご夫妻が自分のコンサートに来てくださったような
イメージで演ったら良いのではと・・とイメージが浮かんでくる。

ということで、赤やピンクのカラフルな花のアレンジメントを
会場に贈ることにする。
白いお花、ではちょっと寂しい。
仏事に、赤か?ピンクか?

それを相手が喜んでくれるならば、それが一番。
「派手なのがいいわ。〇〇ちゃん(奥様のお名前)赤やピンク
好きだったし!ありがとう!」
と依頼者も喜んでおられる。

そう、その人が喜ばれることが一番。
お会いしたことがないだけに、想像しながら、
どうしたらその方に、ご夫妻に喜んでいただけるかなと
準備を進める。

愛妻家からのご依頼。素晴らしいことだ。
何年経っても忘れないことが大切だ。
リクエストにしっかり応えたいと思う。

今日は、父の命日となる。
この奥様と4日違いだ。
この5年をふりかえりながら、静かにこの時間をふりかえる。
父と母の旅立ちから、出張出前コンサートが生まれた。
いろんな思いがあふれ、重なってくる。

今回の法事コンサートでは、その思いも重ねて、祈りと
感謝も込めて空からの観客に届けたい。
愛妻家からのリクエストのおかげで、
ありがたい経験をさせていただける。
しっかり応えたい。
それが私の親への供養にもなるだろう。

今日は日常を過ごしながらも、ちょっと心静かに
大切な人を偲んでいたい。


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お好きな調で、テンポで・・・。

わが作品「歌のブーケをあなたに」は、演奏するたびに、
聴いていただいた方の何名かが涙される・・・。
ある声楽家の知人も、それを初めて聴いたコンサートで
涙され、そのあとすぐに「この歌をささげたい友人がいる
ので、ぜひ歌わせてほしい」と言われた。そのお友達のため
のコンサートを秋にやるので、そのために楽譜があれば・・と
ご要望いただき、普段オリジナル曲では楽譜を作成せず。
歌詞とコードだけであとは頭の中・・・・常にアドリブで演奏
というのがマイスタイルであるが、頭にあるだけでは、
人様には歌っていただけないため、合間を縫って譜面づくり。
手書きの原稿を仲間の演奏家にパソコン仕上げの協力をいただき、
それをご依頼された方に、やっとお渡ししたのが夏。

10月の末に本番とのことで、準備が進んでいたが、この夏の
豪雨での被害もあって練習も思うように進まず・・・・。
ピアノ伴奏と歌を合わせる時間が取れないので、今回は
諦めざるを得ないかも・・・。
と残念そうな顔をされ、報告をいただいたので、

「この歌は、伴奏なしの アカペラでもいいと思いますよ。
ぜひそれで歌われたらどうですか?」
と、おすすめしたら、「それは、思いつかなかった!」
ということで、アカペラで独唱いただくことに。
声楽家なので、諦めるよりも、それがいいのではと思ったのだ。

私が歌った調と同じでなくていいし、テンポももっとゆっくりで
いいし、自分たちが歌いやすいように変えていただいて
大丈夫。
C長調しかダメとか、ではない。なんでもいい。

とにかく、自作の曲が他の演奏家に歌っていただけるのは
いい機会。

作品をどんどん楽譜にしていけば、次代にも残せるか・・・。
そんなことも最近少し考え始めている・・・。
歌のブーケをあなたに・・・送る場面が増えつつある。
わたしも今週、ふたたび・・・。

https://www.mahsa.jp/lagrr/wp-content/uploads/2025/11/5b0aab5c95afdc8e7e7305b1f11c6004.pdf

歌のブーケをあなたに – YouTube

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