みらいへの民主主義

若い世代が立ち上げた、新しいチームの集まりにオンラインで
参加してみた。
テクノロジーの力で政治を変えると、新たな挑戦をしているが
どんな人たちがどんな風に?応援する人達は?など素朴に
若い人たちの挑戦について、知りたいと思った。

そのなかで、デジタル民主主義という考え方についての
説明があった。
それは、聴く→磨く→動かす→伝えるという活動の
サイクルを通じ民主主義を実現していこうとするもの。
それをデジタルツールだけでなく、リアルな
コミュニケーションの場づくりも含め、
参加するみんなで、みらいをともに考え、実行して
いくという。

アナログコミュニケーションも大切にするそうなので、
とくにデジタル民主主義と命名しなくても良いかも
しれないが、表現はともかく、考えてみれば自然で
当たり前で、違和感なく理解できた。
また、このサイクルは、自分が考えてきたコミュニ
ケーションクリエイターとしてのグラン・ルーの考え
とも通じるところがあり、嬉しくもあった。

大切なことは、みんなでつくるということ。政治を
特別な人のものではなく、人任せにせず、自分たちの
自分の子供、孫たちのために
自分事として、関わろう!という点。ここも共感。

やはり、コミュニケーションだ。
みらいをつくるために、時代の変化に対応した、
最適なツールを使いながら、みんなで未来に向かって
行動しましょう。というある意味、シンプルでわかりやすい
説明に、これまでの組織とは違う、近い距離感を感じた。

テーマについて意見を交わす、それをまとめ、伝える。
自分が言った発言が実現されると思えば、政治への関心も
高まる。
政治の場が変わるかもしれない。

透明で、常識的で、わかりやすい。
隠ぺいではなく開かれた世界。
そうなるといい。

それにしても、オンラインでの集まりはチャットを見ているだけでも
新鮮だ。発言に対し、いちいち反応している。匿名で勝手にしゃべっ
ている、拍手やハートマークが画面上に広がる。
対面で参加せずとも、オンラインだからこそ見える、参加者の様子。
それこそ、デジタルツールにより、一体感が簡単に作り上げること
もできる。こういったコミュニケーションがこれから、求められる
のだろう。
いずれにせよ、まずは人の話は最後までしっかり聴きましょう。と
言いたいけれど。すぐ反応しても良いという緩さも必要なのだろう。

いろんな意味で、新しい。

批判せず、自らの強みを生かし、提案をする。
気が付けば、ぐいぐいと活躍の場を広げている。
本当の意味で、政治力があるチームなのかもしれない。
彼らのパワーで日本を、世界を変えることができるかも。
ぜひ、そうしてほしい。

共感できる、挑戦する若者たちを応援していきたい。
こんな世界も少し見せてもらいながら、今自分の周りにいる
若者たちの顔を思い浮かべている。

若い人の未来を。少しでも自分ができることを。

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夢を求める人たちの空

熱狂に包まれるスタジアムには行ったことがないが、その町に行くと人々の
タンゴ、サッカーへの憧れを肌で感じる。その地はブエノスアイレス。
以前、足を運んでいた頃に撮った、お気に入りの1枚を取り出す。

今回のアメリカでのサッカーの熱戦を横目に、アルゼンチンの人々の
サッカーの情熱を思い出す、するとまたあの街の空。
まさに、ブエノスアイレス(いい空気)と
呼ぶにふさわしい光景がくっきり蘇る。その空の下での人々のいい笑顔。

街の人との会話で、サッカーの話題になると仲良くなりやすい。
二言目には、
「マラドーナ!マラドーナ!」。
「わが国のヒーローを知ってるか?」
と言いたげにマラドーナ選手の名を世界共通の言葉として、
自慢げに口に出していた人たちの
笑顔は明るく、とてもやさしい。

こんな空の下、人々は今回の勝利を町中で、国中でで喜んでいるだろう。
その熱気がつたわってきそうだ。

サッカーは貧しくてもヒーローになれる、誰もが夢を目指せるスポーツ。
だから、こんなにも世界で人気があるのだと聞いたことがある。
一部の恵まれた人たちだけが楽しむのではなく、ボールひとつあれば
できる、うまくなれる。そして、世界の頂点に上り詰めることも夢では
ない。
マラドーナもそうであったし、今はメッシか。
夢を見せてくれる象徴であり、今やレジェンド。

戦争は絶対に良くないが、スポーツで戦うのは大いにすべし。
そして試合を通じ、双方が仲良くなることが一番。
そして、分断ではなく、和解、信愛につながること。を期待したい。

今回のワールドカップの決勝はアルゼンチンにぜひ!と思っている。
もちろんスペインにもがんばってほしいが。

誰しもが夢を描ける道は、本当に素晴らしい。

熱狂こそしないけれど、静かに情熱の国への憧れを胸に、
応援したい。

昼はサッカー、夜はタンゴの夢に酔いしれる町、BSASに
今改めて、懐かしさと親しみを抱いている。
いい空気、いい気持ち。
そんな毎日が幸せだ。と、この青空を思い出す。

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poco a poco でいこう

ここのところ、なぜか音楽用語が頭に浮かぶ。
そうすると、少し気が楽になる。
音楽用語は、音だけでなく、それにまつわる言葉も
人々に想像力を与え、時に元気や幸せを与えてくれる
から不思議だ。

今朝浮かんだのは
poco a poco.
スペイン語で、少しづつ。一歩づつ である。
音もかわいくて、なんだか笑顔になれる。
音楽だけでなく、日常でも使われている言葉。

一歩一歩進めば良い。
少しづつ良くなろう。
焦らず、着実に回復に向かっていこう。
と、自分に言い聞かせるとき、こんな音楽用語は
とても効果的だ。
心の薬。

うさぎのように、ぴょんぴょん飛び跳ねることが
できないときもある。
そういう時も増えてくる。
次から次へと動けないときもある。

今はちょっと立ち止まり、
そして少しづつ進む。
そんな過ごし方も意味がある。

周囲の協力、応援をいただきながら、
今日も少しづつ。
poco a poco
なんだか、元気になれる。

久しぶりに楽典の本を開き、いろんな言葉を
再び拾い集めたくなってきた。

さあ、今日も一歩づつ。少しづつ。

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アレグロからアンダンテに。

ほんの不注意で、思ってもいない事態になる。
事故とはそんなものだろう。
小さなことであるが、先日ちょっとしたことで
怪我をして、足の指先が骨折していることが
判明した。
最初、そう見えなかったし、レントゲンでも
問題ないという結果であったが、時間の経過と
ともに変化する・・ということもある。

ということで、しばし全力疾走がしづらい
状況になる。少しゆっくり、ゆっくり。

音楽用語でいえば、いつもアレグロかビバーチェか。
という感じであったが、ここで一旦停止。
アンダンテ、とくにはアダージョの時間も必要。
アクシデントがなければ、このスローな動きを
選択することはないかもしれない。
いつも前へ、前へ。
前向きはいいけれど、それだけに周囲が見えない
こともある。

ということで、今回のアクシデントは自分自身に
付ける薬とする。

そして、しばらく全力で走らない生き方を模索。

先日は見えない世界の体験を企画したが、
今度は身をもって、歩きづらい人、身体に
苦痛がある立場を体験しながら、それが日常に
なっている方のご苦労を知る。

誰もが怪我をする。病気になる。
元気なとき、健康なとき、
痛い目を知らないときには、見えない世界を知る。
このことはとても貴重。

医者に通いながら、その先生の対応や一言一言に
普段以上に注意を払う。専門家の力を、いかに
頼るか。
困っていないときとは、違った見方になる。

そんなこんなで、毎日いろんなことがある。
これも課された活動だと思い、
今できることをしよう。

そう、アンダンテの時間。
それが次へのきっかけになることもある。

周囲への思いやり、優しさに感謝をして。

そして、命を大切に。自分を大切に。

アンダンテは、自身をみつけ、心落ち着ける
ちょうどいいテンポ。
アンダンテは、「歩くように」の意味。
そう、歩けるだけで幸せだ。


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リスクはいつでも。

先日、ちょっとしたことで日常のリズムが崩れたことで、
「無事」というのは、単なる偶然ではなく、奇跡的なことだと
思うようになった。
何もなければ、無事の有難さは感じないが、有事になれば、
無事のおかげで日常生活が保たれているかを痛感する。

地震でも、停電でも、事故でも、何でも・・・
何かが起きると、さまざまなバランスを崩してしまい、
計画どおりにいかなくなる。

物事が順調にいかないと、悔しい思いをしたり、
計画の見直しを迫られたりするが、それは生きていく
上でやむを得ないこと。
何事にもリスクはつきものなのだ。
生きることは、リスクへの対応そのもの。
いかに自らを守り、生きるか。

無事であることを信じ、目標を持ち、計画を立て
そのように進められるように信じ、生きているが、
現実はそんな甘くない。

思わぬことが次々起きる。美しく言えば、ドラマチック。
でも、苦痛を伴うことも多い。
それが現実。
それに立ち向かう力、
その対応力こそが生きる力かもしれない。

ということで、今日は出張をリスケ。
少し動きをセーブし、整える時間が必要だから。

それにしても、毎日、公私ともにいろんなことが
起きる。
生きているということだと解釈する。

予定どおり進む人生は、面白くないのかもしれない。

そういう意味で、人々がスポーツを好きなのは、
何がおきるかわからないから。
その瞬間に全身全霊で立ち向かう選手たちに
自らを重ねるからなのかも。

人生はときに走り、ぶつかり、転び、そして
這い上がる。
リスクを賭けて ゴールに向かうのだ。

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見えない世界を知る経験

昨年より、真っ暗闇のなかで、食に関する経験を
するという企画を実施している。
普段見えている世界が突然に暗闇に変わり、
そんな状態で人は何を感じ、思うのか?
この企画は何度か人を変え、体験会の回数を
重ねている。
暗やみの中を、アテンド役の人に支えられ歩き、
目的地まで移動する。その目的地はお店という
想定。
やっとたどり着き、そこに座り、食事をするまで
時間、そして食事をする経験・・・。
なんと、見えないということは不安が多いものか。

アイマスクで視界をふさぎ、いきなり暗い世界に突入
した瞬間、不安な気持ちに包まれる。
でも、時間が経つと見えないならば、見えないなりに
それ以外の感覚が研ぎ澄まされる。
見えないから、視覚以外の感覚でわかろうとする。
見えないと他の五感が研ぎ澄まされる。

そして、この経験が終わって、再び見える世界に
戻ると、皆さん喜ぶ。

見えない世界を知るということは、見えない人のご苦労を
知ることであり、
その人の気持ちがわかるということ。

少しでも、くらやみ体験をすることで、やさしくなれると
うれしい。
そして、見えることは当たり前ではない。
見える幸せに感謝したい。

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サポーターの存在あって。


本当に、周囲の人達にお世話になっているなあと
痛感する毎日だ。
皆さんの助け、支えがなかったら、今の自分はない。
と改めて思う。

好きなように生きさせていただいて、
と心から思う。

そんななか、本当に縁の下の力持ちとして、
頼らせていただいているのが わが叔父である。
父の弟。父が弱ってから、いろいろと代わりに
助けてくれている。
音響機材持ち込みが必要なコンサートの場合、
その機材の搬入、搬出から、保管。
さらに実家の庭の手入れ。
もう数年以上、まるでその庭の主人のように
面倒を見てくれている。
「健康のためだから、大丈夫」
と言ってくれるが、さすがに年々年を重ねて
いかれるので、いつまでもお世話になるわけには・・・
と思いながら、結果、ずっと甘えている。

なぜか使命感をもってやってくれているようだ。

この叔父がいなかったら、現在の自分の生活はない。
だから、一生懸命働いて恩返しをしたいと
いつも思う。

人は心強いサポーターがいてくれて、がんばれる。
サッカーの選手だって同じはず。

今は叔父が元気で、ずっとサポーターをして
もらえることを期待している。とはいえ・・。

いつまでも・・はありえない。
暑くなると、その健康も心配になる。

今日も感謝を忘れず、1日をはじめよう。

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小心者であれ。

日本では「小心者」と言えば、あまりいい意味にとられない。
「いやー、小心者なんで」と、自分を卑下して言うこともあるかも
しれない。

でも、中国語では違う。
「小心」はとても大切な言葉。
「気を付けて」「注意して」と言う意味で、英語であれば
「Take Care」に近い使い方をすることもある。

台湾の仲間にはいくつか言葉を教えてもらい、またお互いを
いたわり、気遣うときにいくつかの言葉をよく使ったが、
この「小心」もそのひとつだ。
道を渡るとき、階段を降りる時、地震のあとのお見舞いなど・・・
そんなときに、「小心」と言葉をよくかけあった・・・。

さて、最近の私にはこの「小心」が必要だ。
不注意が続いているからだ。
歩きながら考え事をしていることも多く、
時間に追われ、先ばかりを考え、足元を見ていなかったり、
気を抜いていたり、確認を怠ったり・・・・。
小石につまずく?予期せず物が落下する?

そんなことを考えず、過ごしているが、そんな時こそ、
痛い目に遭う。そして、急いていたのに予定変更をしなければ
ならなかったり、周囲にもご迷惑をかけてしまうことにも
なりかねない。

幸い、いずれも大事にはいたっていないけれど、

まさに小心から、大事にということもある、命を落とすことも
あるかもしれない。

集中すること。は大切だ。当たり前に歩いている・・が事故につながる
こともある。

毎日を予定通りに過ごすためにも、小心、小心!と言い聞かせる。
大きいことを考えるときも、小さな心を!
これが、最近のわが教訓。

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いつも一緒だったから。

母と親しくしていただいた方。その方の旦那さまの訃報。
お元気なときは、いつも夫婦でコンサートにおいでいただき、
応援いただいた。
とくに親が旅立った後、果たして私は演奏ができるだろうか?
と、心配してくださり、コンサート再開時に顔を見せてくださり、
「ああ、これなら大丈夫」
と言っていただいた一言が今も心に深く刻まれている。
あれから5年。おかげさまで、その言葉を胸に元気に走り続ける
ことができている。

最後まで「昌子さんのコンサート行きたいと言っている」と
の言葉に、良かったら出前演奏しますよ。と声をかけたが、
そんな状態ではなかったようで、最後は苦しい日々が続いたと聞き、
間に合わなかったことが悔やまれた。

「もっと介護したかった」
「いつも一緒だったから、寂しくて何もする気がしない」
との言葉が届き、半世紀以上連れ添う夫婦の絆を思う。

どんなに仲良しの夫婦であっても、どちらかがどちらかを
見送ることになってしまう。
それがわかっているからこそ、この瞬間瞬間を大切にしなければと
思う。

少し落ち着いたら、またお声をかけようと思う。
最愛の人を送る。自分を育ててくれた親を送る悲しさとは
また違う。つれあいを失くすことは・・・。
最愛の人と少しでも長く生きられることが、
一番の幸せなのだと思う。

あのとき、言葉をかけてくださり ずっと応援してくださった
その方に、花とともに歌のブーケを送る。
「応援ありがとうございました。
もしも、両親に会ったら宜しくお願いします。と。」

送る人生、送られる人生。
年を重ねるのは、なかなか・・・試練の旅かも。

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多くの人により、目の前の人に。

演劇をやっている仲間とオンラインでミーティング。
最近のコンサートの様子、お客さんの反応について話し、
また美輪明宏さんの話題にもなる。
気が付けば、美輪さんのことはどこででも、いつでも
話題にしている。不思議なことに、今は自分にとって(勝手に)
身近で永遠の存在となっている。
「あのスケール、あの魂の表現は本当にすごい。あんなふうになりたい
と思うわ」
と厚かましくも、そんな言葉を発する。
作家の友人は、
「すごいよね~。でもマーサさんの演奏は、大勢の人の前でよりも、
少ない人数でもそのひとり一人に深く入っていく。
そういう感動を伝えていると思う。少なければ少ないほど、伝わる。
それもありと思うけど」
との言葉をくれる。

そう、自分も大ホールで自分から誰がいるかわからないような
高いステージから・・ではなく、フラットな目線で、
お客さんの反応を見ながら、演奏、トークする方が向いていると
思う。

一対多ではなく、一対一を同時に・・・それがいい。
対話型のコンサート、パフォーマンス。
そこにはコミュニケーションがある。

やっぱりコミュニケーションクリエイターとしては、
ひとり一人に向かう姿勢を大切にしたい。

目の前の人に、感動を伝えること。
そして余韻のあるひとときを。

3日前に行ったコンサートでのお客様のうれしそうな顔、
涙があふれた顔が今朝も浮かんでくる。

お客様も思い出してくれていると、うれしい。

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