実家の庭の手入れは、正直、自分の手には負えない。まったく無理。
親が元気だったころ、「庭があるのも大変なんだ~」と、自分たちで
好きで作ったはずなのに嘆いていたことは覚えている。
親が手入れできなくなってからは、叔父が助けてくれて、本当に
ありがたく、この方がおられなかったら・・・と思っている。
健康のためにできることをやっているから・・と言ってくれる
事も助かっているが、それにしても木々、草の処理はなかなか
大変な仕事・・・。と、私は落ち葉を掃除するぐらいしかできず、
全くの役立たずだ。
その落ち葉も、これからの季節は毎年憂鬱で、とくにハナミズキの
葉の処理は、本当に苦労してきた。
掃いても掃いても落ちてくる・・・。
もう本当に・・・。これを数年続けてきた。たった数年ではあるが、
今後のことを考えると、そろそろ判断が必要になってきた。
ということで、叔父とも相談しながら、多くの木々の伐採を決めた。
これで、悩みがひとつ減る・・。
と決断後、実家の庭を改めて見上げる。
紅い実を付けたハナミズキが私を見下ろしている。
さらに、今週行うコンサートの準備をしていたら、リクエスト曲に
「ハナミズキ」があり、その歌詞を見て、胸が詰まった・・・。
うーん、伐採してよいモノか・・。
ハナミズキは、確かに5月に花開くのだ。母の日の頃に・・・。
そう、ハナミズキ=母のイメージにつながる。
本当に切っていいのかな。
迷いながら、
「まあ、咲いたらきれいだけど、瞬間だしね。瞬間のわりに
あの葉っぱの処理は大変すぎるし、もういいんじゃない?」
と周囲の声に背中を押される。
こういうとき、客観的な声は大切だ。
ハナミズキだけでなく、
最近は今後のことを考え、いろんな選択、判断をしなければ
ならないことが多い。
そして、先送りしない方がいいことも多い。
「切っていいのかな、どうしようかな。小枝1本だけでも
残しておけないかな」
全部なくなるのが、いやなのだ。
その言葉に反応して、叔父がいくつか枝を切ってくれた。
「どれを残したい?」
まもなく木自体を切ろうとしているぐらいだから、
もう育てたいわけではないけれど、
今、全部なくしたくない、もうしばらく見ていたい。
という複雑なハナミズキへの想い。
母ももういいよ。と言ってくれるだろうが・・・。
先代が遺すものの整理は、本当に大変だ。
次の人のことを考えて生きなければと思うが・・・。
と、ハナミズキに悩み、そしてその歌を歌う
心揺れる秋の日。
ああハナミズキ・・・。
30周年に向けての宿題
28年前に命名した、わが職業名「コミュニケーションクリエイター」
は、我ながらいい表現であったと思っている。
起業後、多くの問い合わせや質問をいただいているが、
同じ職業の人にお会いしたことがない。
世界でたったひとりの職業を目指してきたので、ある意味正解だった
かもしれない。
ツールを作るだけではなく、コミュニケーションをつくる人、
関係をつくる人、笑顔あふれる社会を目指す人・・・
いろんな思いがありながら、何とかここまでブレずに歩いてきた。
30年を迎えるまでに、もうひと踏ん張り、そしてもっと考えていかねば
ならない。
コミュニケーションクリエイターのままでいくのか?
自分は本当にクリエイターなのか?という自問。
今ある自分を表現したいのか、なりたい自分を表現するのか?
ここも大変重要だ。
またカタカナの表現は、もういいのかなと思う点もある。
30年までの間に、これから生きる自分にふさわしい命名をしたいと
思っている。
もちろん「人生は観覧車のように」は変わらない。
いろんな挑戦を重なるなかで、何かもっともっと・・・と思う自分が
生まれてくる。
内側から湧いてくるときが、変化のチャンスかも。
いのちの安売り、反対!
少子化のせいか、ペットの販売店が増えている。
SCでも、街中の路面店でも、ホームセンターでも。
「わあ、かわいい!」と多くの人が集まってくる。
それを見るたびに、悲しい気持になっていた。
かわいいけど、かわいそう・・という気持だ。
お店によっては、小さな箱に閉じ込めて、
犬は狭いその部屋のなかをくるくる周り、
人が来ると吠えている。
ぐたーっと寝ている犬もいる。
ネコは基本、じっとしている、じっと見ているか。
昔からペットショップはあったか?
子どもの頃には、あまり記憶がない。
犬もネコも、人から譲り受けてきたものだと
いう認識があったが、いつの間にか、
ペットは商品になり、ペットだけでなく
そのペットにまつわる商品、サービスも増えている。
ペット市場は成長産業になっている。
最近みかけたホームセンター内のペット売り場。
売り場面積は広い。小さな箱のような仕切りがあって
あって、ペット候補の動物たちは、そこで待機している。
そこに値札。
高いものは20万円以上、低価格のものは数万・・。
同じ犬でも、こんなに値段が違うのか。
これは、人間にあてはめたらどういうことになるだろう?
何を以て値段が変わるのか?
安く値付けされている犬がかわいそうになった。
さらに、驚くのは「ハロウィーンセール」のPOP。
そこからさらにディスカウントされた価格が掲示されている。
おもちゃのようだ。いのちなのに・・・。
商売のための販売促進で、安く提供されるなんて・・。
おかしい。
きっとハロウィンが終わったら、次はクリスマス・・とか表現を
変えて展開され続けるのだろう。
そこまでして、売りたい?売らねばならぬ?
決してそのお店を攻撃したいわけではないけれど、
そもそも いのちの値づけは、反対だ。
セールなんて、ありえない。
人間のご都合で、こんな風に、安く売られ買われて、
大切にしない人もいるかもしれない。
動物たちにとって不幸にならないように、最後まで
責任をもって対応されたい。
ふと、あの箱のなかにいろんな人間が入っていたら・・と
想像してしまい、いつかそんな日もくるのかも?
縁起でもないが、やはり人間はときに残酷だ。
おそろしい。
どんないのちも、大切に。と思うが難しい。
セットの学びを
久しぶりに都内の大学を訪ねる。
オンラインもいいけれど、リアルで学ぶのは、また違う。
講師の話だけでなく、それを聴く受講者の様子もよくわかる。
新たな知見を得るだけでなく、ライブ感から学ぶことも多い。
受講している講座の対面授業に来られる方の多くは高齢の方。
私より明らかに年下に見える方は若干名。しかも現役学生では
ない。
高齢者のなかには病気を患いながらも出かけてこられている方も
おられる。通学も大変であろうが、この授業を聴かねば!との
その意気込みに頭が下がる。
授業が始まる前に、毎回対面授業に来られている方同士、
会話を交わしておられる。10年以上前から続くこの講座、
リピーターが多いようであるが、受講者も講座の歴史とともに
年を重ねる。
たとえ80歳を超えても学ぼう、質問しよう。と、皆さん真剣だ。
その意欲が本当に素晴らしく、この様子はオンラインではわからない。
戦後80年を過ぎ、戦争体験を有する人は減少の一途。
そのうち、経験した人もいなくなれば、世の中は次第に変わる。
今も変わりつつあるが・・・。
この平和を守ってきた尊い80年を忘れてはいけない。
これからも平和でなければならない。そのために世の中を知り、
自分ができることをする。
そのための学びの時間。
意欲ある高齢者は、学ぶ。
自分ができることを、模索しておられるのだと想像する。
自分はこの先10年、20年・・・。いくつまで生きるのかわからないが、
学ぶことは「インプット」。それはもちろん続けるとして、
それを伝えたり、発信したりする「アウトプット」まで行いたい。
これが、セットの学び。インもアウトもしっかり!意識して生きていきたい。
もちろん「アウト」は、言葉での発信だけでなく、音楽で伝えることも含めて。
仕事を続ける現役の方、学びへの意欲があるお年寄り、デイサービスに通う
お年寄り・・・。
いろんな高齢者の姿を見ながら、自分が進むべき道をできるところまで、
自分で選びたいと思う。そこには生きる意志が前提になるのだろう。
対面授業は、実は、自分にとって社会勉強の一環でもある。そして
リサーチでもある。
いろんな社会を見よう。そしてセットの学びを実践しよう。
それぞれの人生がいろんなカタチで動いている。
別れは出会いと・・・。
「お別れの会」に伺った。
こういう場には参列の経験もなく、会場が近づくと少し緊張。
入口に、しばらくご無沙汰していた方の名前が書いてあると
不思議な感覚になる。
本当に、この方とのお別れの会の会場なのだ・・・と。
中に入らせていただき、その方の生前の写真を拝見しながら
在りし日のことを思い、何とも言えない気持になりながら、
献花をさせていただく。
会社の後継者の方々、ご家族の方とご挨拶をさせていただき
初めてお会いするにもかかわらず、なぜか昔からずっと
知りあいだったような そんな気持になるほどに親しく
声をかけていただき、心があたたかくなった。
写真のスライドショーを拝見しながら、お会いする前の
若き頃の写真もあって、経営者としてしか知らなかった
その人の人生が見えてきた。
家族の愛に包まれ、皆さんで力を合わせて、ともに真面目に
がんばってきたんだな。約40年、頑張りぬかれたな・・・。
心で拍手をしながら、そのスライドショーをずっと見ていた。
そして、下の写真はその会場で提供されていた自社製のお菓子。
OEMが中心であるが、知り合った頃から自社製品にも力を入れ
始めていたなかの、代表作のひとつ。
「この商品、なかなかいいでしょ?」
と嬉しそうに語ってくれた、ゴマのお菓子。一粒一粒がパンダに
似ている。
見た目もかわいく、味もとても美味。食べだしたら止まらない。
その後、自分のイベントや飲み屋さんにPRしまくっていた頃を
思い出す。まだ一般に販売されていなかった。
現在、商品名は「ゴマぱんだ」として、装いも新たに人気上昇中。
今回、久しぶりに拝見、そしていただき、「ああ、これこれ!」と感動。
あれから、ずっと頑張り続けてきたんだと思うと胸がいっぱいになった。
会場では、

ご家族の皆さんが、交互に、親しく話しかけてくださり、心からの
おもてなしをいただいた。
ご本人が元気であったら、もしかしたらご家族に会えていなかった
かも?この機会だからこそ、お会いでき、こんなに親しく話せたのか?
とても不思議な感覚になった。
ご本人がいないのに、一緒に談笑しているような気もした。
思い出話で、盛り上がる。そういう貴重なひとときだ。
涙の後は、笑い。それがいい。
亡くなる2週間前に、お孫さんも誕生したとのことで、
おじいさんになって、旅立たれたのだ。本当に親孝行の娘さん!
人生は不思議だ。別れもあるが、また新たな命が生まれ、そして
出会いもある。
「せんせい、きてくれたんすか~。」
そんな声が聞こえてきたような気もした。
お別れの会とは・・・。少し時間をおいて、その方のことを
一緒に振り返り、そして感謝をして、次のステージに向かうための
出発の時なのかもしれない。
帰り際に、思わずご家族に
「また 連絡します」と泣き笑いの顔で、頭を下げて会場を
去った。お別れの会なのに、ご縁は続く・・・。
帰り道、帰路に着くまで 何名かの方にお会いしたが、
この「ゴマぱんだ」を渡しながら、「こういう方がおられてね・・・」
と話した。内山さん、空からにこにこ笑っていたかも。
改めて、安らかにお休みください。そして、
会社の皆さんや、ご家族のことをずっとずっと見守ってください。
別れは、出会いであり、はじまり。
同い年の私は、もう少し 走るとしよう。
生前の社長のブログの存在を知り、帰り道に読んだ。
こういう人だった・・・。としみじみ・・・。
行ってよかった。
内山藤三郎商店の店長日記
https://www.touzaburou.com/?mode=pc
新潟の仲間にお礼とあっぱれと・・・
ちょっと前まで、「お別れの会」というものは自分には無縁と
思っていた。
違う業界や世代の話、著名人の世界でのこと・・・など
新聞に掲載される広告を見ても、ピンときていなかったし、
コロナの頃は、開催されないことも多く、お別れを言えない
ままの方もいた。
そんななか、親しくさせていただき、お互いに応援していた
同世代(まさに同い年)の知人のお別れ会のことを知り、
ずっと気になっていたこともあり、これは何としてでも・・と
思った。
もう5年ほどお会いできていなかった。いや、もっとかも。
コロナの前のはず。
最後に会ったのは東京の展示会でだったか・・・。
いつも展示会ブースに立って、静かにたたずんでおられる。
自社製品の陳列は酒類も多く、目立っている。
前を通ると、笑顔で挨拶。旧友に会うかのごとく・・・。
「お元気ですか。」
なんとも言えない、控えめの笑顔が、ずっと変わらず・・・
100年企業として、新潟の食品会社を支える会社として
たゆまぬ努力を続けた一生・・・。
私自身のことも応援してくださったことも、
ありがたかった。
いつも、握手をして別れた。
豆菓子といえば、内山さん。
気が付けば、大したPRにならないお節介もやっていた
当時を懐かしく思い出す。
「ニュースリリースなんて、うちには・・・」
そんな時代だった。
その後、OEMの会社の挑戦として、さまざまな変化を見せて
いただき、応援させていただいた時間があったこと、
新潟にはこんな企業もあるのだと新たな学びをいただいたこと。
そしてやはり、あの人柄か。
もう一度話したかったな、
「いやー、ダメなんですよ~」
と、いつもながらの控えめなトークに
「そういわんと、がんばって~」
と言いたかったし、最近の演奏も聴いていただきたかった・・・。
新潟の人は忍耐強いと思っているが、この方もそうだったのだと
思う。
闘病から解放され、今は安らかに眠っておられるだろうか。
いろんなことを思い、今日を始める。
お別れか・・・。でも、思い出す限り、お別れはない。
これからも心の中で、生き続けてほしいと思っている。
だから、今日は感謝とあっぱれの一言を。そして、心の中で
歌のブーケをささげたいと思っている。
同世代の旅立ちは、なんだか・・・である。
どこまで行けるか?出前コンサート
おかげさまで5年前から、細々とはじめた出前・出張コンサートも
このところ、ご要望もさまざまで、意外な展開を楽しませていただいている。
9月のシルバーウィークでの演奏活動は、デイサービスから敬老会、新聞社ロビーと
ターゲットも会場も異なり、それぞれ余韻の残る経験となった。
10月は法事のあとのコンサートのご依頼。これは初の試みだ。
そして、年末には台湾でのコンサートも計画中だ。
出前・・・どこまで行けば出前なのか。
どこでも行きます!
本当に今はそういう気持ちでいっぱいだ。
自分ができることを、行ける場所でやらせていただく。
出会う人が、喜んでくださったらそれでいい。
ということで、まず今、準備に入っているのはまもなく開催する
法事コンサート。
依頼者が愛妻家だからこそ、ご依頼をいただいたのだろう。
今は亡き最愛の妻に、音楽をささげたいということだろう。
そのご本人にはお会いしたことはないけれど、
ご依頼者のメッセージを胸に、いろんなことが叶う
ひとときになったらと思う。
お客様をお迎えするコンサートももちろんいいが、
ここでやって!と言っていただけるリクエストも
本当にありがたい。
作り立ての料理をお届けするサービスとは
少し違うが、自分なりの工夫を続けてライフワーク
としての充実と、お客様も自分も幸せになるひととき
を目指したい。
職業と人生観、、、。
どんな職業に就くか?によって、人生観や死生観はちがうのかも
と、最近そんなことを思うことがある。
医療や救助、報道などの仕事で、戦地の現場に赴き、目の前で人が命を
奪われていく様に直接向き合う仕事をする人にとっては、戦争に
ついての危機感も高く、世界が今どっちへ進んでいるかについて、
より敏感に感じることだろう。
命をかけて仕事をされている人にとって、死はいつも背中合わせ
だろう。戦地に取材に行くとき、いつも遺言を書いていたと、
知人の記者が以前話してくれたことを思い出す。
地震や台風で人命を助けたり、行方不明の人を捜索する仕事を
される人々にとっては、まさに自らも生きるか死ぬか
の覚悟をもって取り組まれていることだろう。
葬儀の仕事をされる人にとっては、人生の終わりについて考える
こと、またその時々のさまざまな現場を見て人の死について、
思われることも多いだろう。
一方、食の仕事をする人は、元気に生きる前提での商品やサービスを
提供する。
ファッションの仕事も、心豊かにきれいにおしゃれに生きるお手伝い
であるから、こちらも生きる前提となる。
そこには、最後の発想はない。
世の中には本当にいろんな職業、仕事がある。
どの仕事も大切で、尊い。
人生の、社会のどの部分に関わるかにより、関わる人の
人生観、生死観が変わってくるのだと思う。
非日常に関わる仕事は、重く苦しいものが多い。
本当にそういった仕事についておられる方には頭が下がる。
自分の仕事は、そんな重いものはないけれど、
いろんな方に触れることが多いおかげで、 自分なりの人生観や
生死観をもつことができるようになってきた。
どうせならば、人々が楽しく生きることに役立つ仕事がしたい。
と思うと同時に、
人生を有意義に結べる、そのお手伝いもしたいと思う。
人が生きる限り、笑顔になれる仕事がしたいと思う。
どの職業に就くかは、人生に大きな影響をもたらす。
だから、若い時からよく考えて選ぶ必要がある。
肩書と表情
長年仕事でお世話になってきた人。公私ともに親しくして
頂いてきたので、仲間と呼ばせていただく。
久しぶりといっても3か月ぶりに会う。
前回お会いしたときは、企業人として、責任あるポストで
仕事をされていた。卒業を前にその企業での現役ヒストリーを
辿り、そのご尽力を労い、新たなスタートを祝した。
それまでは、いつも見えるところにスマホを置き、
何かあればすぐ対応。それが当たり前であった。
今回は、卒業された後の再会となり、これまでとちょっと
ちがった様子。
表情が明るい、ちょっと若返って感じすらする。
「今日はちょっと違う感じですね」
「やっぱり、コレをいつも見て、すぐ対応しないといけなかった
日々と比べると、今は違うよね」
なるほど、そういえば、以前はいつも緊張されていたのを思い出す。
食事していても、本当においしかったか?
その責任あるBIZ時間を卒業され、自分のペースで仕事をする、
自分の時間を大切にする暮らしへ。
長年つとめた会社での日々と、新たな環境では勝手も違い、それはそれ
で苦労もあるかもしれないが、新鮮な日々も悪くない。
そして無理をしなくても良い。もう十分に働いてきたのだから、
自分のやりたいことに力を注げばいい。
肩書が何であっても、何もなくても、
その人は人としての価値は変わらず。
肩書よりも、その人の表情の方が印象に残る。
いい顔をしているなあ。
同世代の人たちの新たな挑戦を応援しながら、
自分らしく生きることを、自分もさらに意識する。
表情豊かに、笑顔で。いい顔して生きたい。
そして、
肩書抜きで、ひとりの人として、心からつきあえる
仲間と元気な時間を迎えられることに感謝したい。
あと10年?あと??
動けなくなったら、会えないから、
今を大切に。そしてこれまで以上に絆を大切にしたい。
学びに行く。
手元でも、デスクでもどこでも「ラーニング」ができる時代。
最近は、移動しながらでも講座を視聴できる。
歩きながら、授業を聴いている、しかも聞き逃したら何度も
戻して聴き直す・・・と、先生には失礼な受講態度になって
いないか?とも思いながらも、学びが身近になっているという
点でオンライン学習はありがたい。
でも、これだけでは不十分で、できる限り、対面で学べる機会
があれば、出かけていく。
毎週は難しくても、月に一回ぐらいであれば、なんとか調整できる。
思えば10年以上、受講し続けている「ジャーリズムと国際社会」。
この秋からも講義が開始となった。
10年前からずっと通っている方もおられることだろう。
先生も、変わらず学びの場を共有できるとは、ありがたいこと。
資格を取るための勉強ではなく、世界をもっと知るための学び。
人生をより有意義なものにするために、一生学び続けることは
もっとも大切なこと。
また、プロの仕事を知るということも大いなる刺激。
講師である、ジャーナリストについても学び続けている。
伝える仕事をする人の魂、生き方に触れることも大きな学びだ。
知的欲求がある限り、成長できる。
束の間の学生時間を楽しむ。
若いときの勉強とは違う楽しみが広がる。
世界と自分がつながる。
今からでも遅くない。学びたいテーマ、先生との出会いを
大切に、積極的に学びに出かけたい。