左指を鍛える。

バレリーナもピアニストも練習を〇日休んだら
その分、下手になる。
といった教えを聴いていた幼少の頃。
そのため、高校時代までは、とにかく毎日練習を
していた。
まさしく、日課であった。

それが18歳からその生活はストップしてしまい、
時間が経てば経つほど、次第にその言葉が堪える
ようになってきた。
毎日動かし続けるべきであった。
たとえ、鍵盤がなくてもどこででもいい。
大学時代、ピアノのない住まいになった頃、紙鍵盤
を使ってしばらくやっていた頃があった。
でも、音が出ない鍵盤での練習は、続かなかった。

この数年クラシック音楽への再挑戦をしようと、
18歳の頃までに弾いた曲、その後いろんな場所で
耳にして、ぜひ弾きたいと思っていた曲などを
弾き始める。といっても毎日はできないけれど・・・。
それでも空白の時間にできた遅れは少しづつ
取り戻せているか・・・。
時々自作にクラシックも取り入れ、自分の歴史を
そこにも込めたいと思うようになった。

弾き歌いには、ピアノの技術はそんなに必要ない。
自分の歌の伴奏をしているだけだ。
きれいに音を重ねる。それも大切だ。

一方、ピアノ曲は指の動きが演奏の生命線になる。
久しぶりのベートーベン テンペストの1楽章に向かう。

うーん、左手がもつれる。ひきつる。良くないなあ。
昔はこんなじゃなかったのに。と
左手だけの練習。
あれ?ん?少しづつ元のように動くようになるが、
心持ない。指に力がないのか?どう鍛えよう?
とにかく練習なのだろう。
丁寧に練習を重ねれば 左指もだんだん動くようになるはず。

〇日どころか、もっと長い間努力を怠ったツケを
痛感。
ピアノ練習をしなかった日々の代わりに得たことも
いろいろあれど、やはりピアノを弾ける人生でなければ。

わが人生。
フジコヘミングさんが最後まで魂を込めたように、
私もまだまだやらなければならない。
そのためには、まず左指だ。

毎日動かし続けること。
AIが活躍する時代になっても、魂の演奏は人にしか
できないのだから。
自動練習はなし。

カテゴリー: Essay (Word) | 左指を鍛える。 はコメントを受け付けていません

毎日、かみしめよう。

布施明の50周年アルバムを聴いていた。
今から10年前のもの。

そのなかに、

自分は君よりも先に旅立つと思うけど、
ずっと空から見守り続けるから、心配しないで。
1万回ありがとうを言っても足りないぐらい・・・。
平凡ですまなかったけれど・・・。

といった内容の歌詞(そのままでない)が出てくる
作品があり、聴きながら足を何度も止めてしまう
そんな曲に出会った。

まずは、生きているうちに、どちらかが先にいなくなることを
想定すること、とくに相手がいなくなった時の
ことを考えることの怖さ。
でも、いつかはそういう日が来るということの覚悟。
そして、その別れに向け、感謝をしてもしきれない
という気持ち。
そして、平凡という一番の幸せに気づくということ。

それらの学びを得た。素晴らしい作品、今だからこそ
その意味がわかるのだろうと思う。

まもなく出会って32年目になる。
人生の半分以上の時間の長さである。
そろそろ、いつかこの歌のような時を迎える
のかと思うと、若き日とは違う気持ちが湧いてくる。
感謝は伝えられるときに伝えておかねばとも
思う。

そして、平凡とは平和である意味、不変であり
ありきたりである有様であるが、
すごく刺激的なことが続かなくても、平凡が一番
かもしれない。

と思えてくる。
静かに丁寧に生きること。
日常のなかにささやかな喜びや楽しみを見つけること。
平凡の暮らしのなかにはそれも込められる。

平凡は、平和でなければ存在しない。
まず、このことに感謝しなければ。

今日は新たな1週間のはじまり。でも静かだ。
普段聴こえないものや、見えないものを感じる。
そして、
もしかしたら、今日が最後かもしれない。
とそう思ったら、平凡は特別になるとも
思えてくる。


毎日、今日という日を、わが人生をかみしめよう。
当たり前はなく、ありきたりは尊く・・・。

GWとは、自分の内面を整理し、落ち着かせ、
行く道を確認する時間。




カテゴリー: Essay (Word) | 毎日、かみしめよう。 はコメントを受け付けていません

これも、サブリミナル?

最近、仕事の時の会話で、
「自分は、『昭和』ですから。」
というフレーズをよく耳にする。
昭和時代に生まれ育ったから、平成、令和とは
違うということを言いたいようで、
それは自分も昭和生まれ、昭和育ちなので、思わず
「わかる、わかる」と頷いてしまう。

昭和の良さも 課題も、反省もいろいろあれど
自分の青春時代でもあり、懐かしいことが
多い。
とくに音楽(当時の流行り歌)には、当時の
世相をじんわり伝えるものも多く、メロディも
歌詞もあの頃だから・・というものが多く、
また今改めて歌詞を聴くと、いい曲だなと
しみじみするものが少なくない。

最近は移動中に音楽を聴くようにしているが、
時々、昭和ポップスをselect。そのなかで、
前にも書いた布施明はもちろん、それ以外でも
何人かの曲を聴く。
その中の一人が、松山千春。
お世話になっている札幌のレコーディングスタジオが
先日、コラボでウィスキーづくりをクラウドファンド
したという話題もあったせいか、
急に親しみをもつようになり、その作品を意識して
聴くようになった。

あの高音ののびやかな声は、澄んだ悲しみを感じる。
と、私の勝手な好みであるが。そしてやはりメジャー
キーではなく、マイナー曲の方が断然いい。
悲恋を唄うにピッタリの声だ。と思ってきたし、
今聴いてもそう思う。

曲を聴き直すようになり、松山千春のことを、改めて
思い出す。
自分が10代のときに大ヒット曲を次々と生み
不動の人気を集めた。
と、そこまではいいのであるが、自分が大人になって
からのこの方の印象はかなり変わった。
人それぞれの成長、変化、人生観であるので
いろんな世界で活躍されているのは、結構なこと。
でも、なんとなくしばらく音楽は聴いていなかった。
そんななか、最近、昭和の代表歌手として、再び聴き始める。
ああ、いい曲がある。きれいな高音。女心をくすぐるという
感じ?といろいろ思いながら、その曲に没頭しようとするの
であるが、どうしても、昔とは違う映像が浮かんでくる。

それは、今のご本人の姿と、ご本人の先輩らしい鈴木さん。
著名な熱い政治家である。
なぜか、松山千春の歌を聴くと、その方が一緒に浮かんでしまい、
その後ろにはロシアの人も浮かんでくる。

中学生に聴いたときは、純粋に音楽だけが入ってきたのに。
当時のビジュアルと曲がひとつの青春の世界を見せてくれていたが、
今は、昭和に感じた感動の世界に加え、その面々が一緒に浮かぶ。
どうしても浮かんでくる。いらんけど・・・。
私が聴きたいのは中学生のときの感動そのままの世界。

これもサブリミナル効果のひとつなのだろうか?困ったものだ。
と苦笑いしながら、40年以上前のレコードジャケットの写真を
見ながら曲を聴くようにしている。

あのときのメロディー、歌詞、表現する声、歌い方、
そして表現の一体感が好きだった。
今はとにかく、昭和のその歌手を思い出すようにしている。

時間が経つことで、いろんな経験を重ね、情報が加わることで
記憶が変形していくことがある。
洗脳とは違うとは思うけれど、思わずサブリミナル?と
思ってしまったのは確か。

それはそれとして。
好きな曲を大切に聴きながら、自分が生きた時代を懐かしむ。
その時間は宝物だ。
昭和。自分にとってはかけがえのない時代、青春の日々。

カテゴリー: Essay (Word) | これも、サブリミナル? はコメントを受け付けていません

休日も目標をもって・・・。

本日からGWの後半がはじまった。
いかに喧騒の世界から逃れるか。静かに過ごすか。
そして、日ごろできないことをいかに行うか。

できたら、休日も毎日その日の目標をもって過ごしたい。
今日はこれをする!と決めて、1日を始めたい。
ルーティンな日ではないため、1日がゆっくり過ぎる。
だからこそ、いろんなことができる。

私の場合は、まずはインプットを優先に行いたい。
読書も、読譜も、作品鑑賞も・・・。
「つんどくしょ」の山も減らさないと・・・。
もちろん、心身共にリラックスする時間も
忘れずに。

普段考えることがないことに思いを馳せるのもよい。
自身を深め、高め、自分らしく生きる道筋を整える時間に。

少しだけスピードを落として、緊張をほぐして、
瞬間瞬間を、一歩一歩を味わって過ごしたい。

ということで、早速、東京と京都の大学の講座を申し込む。
何を勉強するか?を選べる時間が楽しい。
人間について、AIについて、そして・・・気になるテーマは
限りなくある。

もっと知見を広げる、深化する。

誰にとっても穏やかで平和な祭日であるように・・。


カテゴリー: Essay (Word) | 休日も目標をもって・・・。 はコメントを受け付けていません

リストのおかげで。

ヴァイマール。ドイツにある世界遺産の町で、バウハウス誕生
の町としても有名で、憲法にもその名がついているため、なぜ
かその名前だけは学生時代から知ってはいた。そのため、つい
でがあれば?一度はその町に足を運んでみようとフランクル
フルトから足を伸ばしたコロナ前の冬。

駅から30分は歩いたかもしれない。初めての町はきょろきょ
ろして歩くのがいい。ナビに導かれて目的地に・・というのは
感動が少ない。

旧市街の先に森の入り口があった。
そこにみつけたリストの家。上の写真は、その室内。おそらく
リストが森の散歩から戻って弾いたり、作曲したであろうピア
ノたち。
そこには写っていないが、ベートーベンの肖像画も飾ってあった。

超越技巧とか、タイトルを見るだけで、絶対無理!と思う難曲
が多いリストの作品であるが、実は作曲だけでなく、編曲も数
多く手がけており、なんと、ベートーベンの交響曲をピアノ用
に編曲したものもある。
ちょっと背伸びして、その楽譜を手に入れてみた。
なんと、オーケストラの曲をピアノ曲にするとは!
まぎれもなく、天才である。
もしかしたら、この写真の部屋で書かれたのかもしれない。
と、懐かしい部屋を思い出しながら交響曲9番を弾きはじめる。

あの「歓喜のうた」が4楽章に入っていることもあり、なじみ
深い。
さてオーケストラ曲がピアノ1台、指10本で演奏できるように
なっている。
初見で弾き始める。なんとか弾けるところ、難しいところ・・。
迷路の中をさまよっているような感覚で初見を楽しむ。
しばらくして、なんと長いのだと、その楽譜のボリュームに
改めて感心しながら、ピアノ曲とは違う長さにちょっとしん
どさも感じた。
ひとりオーケストラはなかなか骨が折れる。
でも、この経験はとても刺激的。

ピアノのおかげで、リストのおかげで、交響曲がひとりで
演奏できる。
楽譜をめくるのも大変だから、そろそろタブレット端末を
使う方が良いかも?
となると、楽譜も入手し直しだ。
いろいろ思いながら、格闘した。

ひとりオーケストラが楽しめるなんて、何と贅沢なこと。
リストのおかげ、そしてもちろんベートーベンのおかげ。

実は前回 リストの家から駅に戻る途中、片方の手袋を
落としてきた。
今はわざと、置いてきたと思うことにする。
リストの冷たい指を守るため?

カテゴリー: Essay (Word) | リストのおかげで。 はコメントを受け付けていません

やはり、何より「人として」。

AIの普及が目覚ましい。これらの技術にどう向き合うか。
ユートピアとディストピアというとらえ方がある。
前向きにとらえ、いいところだけを見てその進化を歓迎する
前者の立場とネガティブにとらえ、悲観し、受け入れを拒否
する後者の立場。
どちらかだけではなく、どちらも必要。
進化を認め、受け入れ、必要なところは活用する。最後は
人間の判断。
昨日もAIが書いたある議事録を確認したが、それなりに
文章ができている。
先週も違うAIが書いた違う議事録を見たが、イマイチでは
あるがないよりは記憶の助けになるため、一応役には立つ。
と、AIが人々の生活や仕事にじわじわと参加しはじめている。

使えるものは使う。但し、そのままではなく、人間が使い
こなす。
あくまでも、ツールであると改めて認識する。

と、この情報化社会のなかで、やっぱり大切なことは
「人として」であると痛感する。
効率化、省力化は確かに大切であるが、それよりも人として、
相手を大切にする気持、行動、配慮、気配り、思いやり。
そして、何よりも感謝。
オンラインでの仕事が日常になると、人間関係が希薄になる。

利便性が高まれば高まるほどに、
これでいいのか?これではいかん。
と思う人間社会の乱れを感じている。

最後に残るのは「人として」愛することができるか、
尊敬できるか。

AIがあっても、愛のない人、愛のない社会になっては
いけない!
と、真剣に思う毎日である。

カテゴリー: Essay (Word) | やはり、何より「人として」。 はコメントを受け付けていません

「人種のるつぼ」と言われた時代は

25歳に初めて訪れた海外はニューヨーク。
あの時代、その年齢で、そこに行けたことで人生の新
たな扉が開いた。本当にラッキーなことだった。

この町は「人種のるつぼ」と呼ばれており、いろんな
人種、民族がここに集まり、一緒に溶け合いひとつの
国を創り上げていると当時のガイドブックにそう書いて
あり、日本と大きく違うことへの期待と不安もあった。

るつぼ・・・とは、金属を溶かすために使う耐熱性の
ある壺。英語でいえば melting pot 。この方がわかり
やすいか。

当時の私にとって、NYの現実はとても衝撃的であった。
本当にいろんな人種、肌の色、髪の色、体形もさまざま。
タクシーのドライバーの多様性にも驚いた。
日本で見たことがないいろんな人を見かけることができ、
最初は大柄な黒人の人を見たとき、ちょっと怖かった
けれど、すぐに慣れ、むしろその多様性が楽しめるように
なった。みんながんばって生きている。がんばるしかない!
がんばらないと生きていけない町でもある。
そのパワーを感じることが好きになった。

そんなこともあり、航空会社も日本のではなく、アメリカ
の飛行機をよく利用し、日本を出国する瞬間からアメリカ
社会に触れることがとても好きになった。
気軽に挨拶をする、ジョークを言う。仕事はちょっと丁寧
ではないけれど、自由さが自分に合っていると思っていた。

ところが、今はこの多様性を認めない国になりつつある。
そして、陽気なアメリカの人たちから笑顔が消える
衝撃的なことが起きており、大変な社会不安のなかにある
アメリカ・・・。

最近、15年ほど前かマンハッタンからニューアーク空港
まで乗ったタクシーのドライバーがプレゼントしてくれた
スペイン系の歌手のCDの曲がアイフォンから出てきた。
ここに入れてあったのだ。思わず嬉しくなって何度も
聴いた。
ああ、そのとき車内で流れていた曲だ。
「いい曲」と聞きほれていたら、車を降りる時、
その1枚を私にくれたのだ。
ドライバーとお客のひとり。ただ、そんな関係だけである
のに、旅人、しかもはるばる遠いジャパンへ帰っていく
お客へのお土産の気持ち、だったのだろう。
確か中南米の方から来ている人だった。
その曲を久しぶりに聴きながら、そのドライバーは
元気にしているだろうか?と思い出し懐かしくなった。
あのホテルマンは?あの店のあの人は?そして、
NYで知り合った旅行会社の日本人の社長は??

メルティングポットだからこそ出会えたいろんな人の
顔が浮かぶ。

今のNYはすっかり変わっていることだろう。
昨年行くつもりが、選挙結果を見てキャンセルした
その気持ちと今も同じ。
でも、そこに生きるひとりひとりに会いたい気持も
募る。

最も自由で輝いていた町。
移民で成り立った、繁栄した歴史を忘れてはいけない。

私にも自由、自立を教えてくれた町。
再び行こう!と思える日が来るように。
世界で撮影した写真のなかに、NYの摩天楼を見上げた
1枚がある。セピア色なのが、ちょうどいい。
今日も同じ空をしているだろうか。

カテゴリー: Essay (Word) | 「人種のるつぼ」と言われた時代は はコメントを受け付けていません

そこで敬語?

若き日に、岐阜から京都に行きたい!と思った理由のひとつは
「ことば」である。
全国でも、名古屋や岐阜地区の言葉は、けっして美しくはない。
正直、あまり好きではなかった。子どもながらにレッスン等
で外に出ることが増えてくると余計に恥ずかしいような気持
にもなった。標準語を話す大人は周囲にあまりいなかった。

親たちが話していた方言も、違う地域で生まれ育った人から
みると、ちょっとわからないと言われたこともあったが、
ちょっと独特であり、あまり人におすすめできるものではない
と思っていた。

念願かなって京都に無理やり住むことになり、
バイト先やお店などで「おおきに」と最後に、さりげなく言う
と、それだけでも京都人らしくて?っぽく見えてカッコいいと
学生時代は、京都に生まれ育った仲間たちの言葉遣いをうら
やましく思いつつ、横目で見て学んだ。

そのあと、東京暮らしになり、各地へ出張に行っても
「関西人ですか?」と言われるようになり、それなりに京都
弁?関西弁?(実は厳密にはよくわかっていないところも)
らしき言葉遣いが自然にできるようになった。
今も、ご縁をいただいている京都での仕事では、地元の方と
自然にやりとりをさせていただき、それなりに京都言葉は
わが身に浸透しているつもり。

最近、近鉄電車に乗っての移動中。高校生か中学生の会話が
聴こえてきた。どうやら、ある先生のことを話題にしたいよう
で、その先生の特徴を一人の学生がもう一人に尋ねている。
「その先生、若い人?」
「声の大きい人?」
など、いろいろ特徴を挙げていった。そして
「はげてはる?」
と聞いていた。
そこで私はたまらず、おかしくて車窓を見ながら笑いをこら
えた。

確かに京都弁の「○○してはる」は京都人が日常で使う敬語
である。
公的な場面、ビジネスの場面ではあまり使われていないかも
しれないが、日常の敬語としておなじみだ。
「〇〇していらっしゃる」というのを、簡単に「〇〇しては
る」というと、簡単に敬意を表することができる言葉・・と
周囲から学んだ。

学生まで受け継がれているのは素晴らしい。
でも、そこにも敬語か?
おそらく、何についても「〇〇してはる」が当たり前になって
いるのだろう。

まあ、どんなことに敬意を表するのも悪いことではないので、
と思えば、さすがの京都人!

きっとその学校中にも、他の学校でも、毎日「〇〇してはる」
が溢れているのだろう。
悪いことではなく、いいことだ。

でも、「はげてはる?」とは?先生が聞かれたらどう思われる
かな?と、思わず苦笑いされている様子が浮かんだ。

ほほえましい方言。これも楽しい京都の時間。

カテゴリー: Essay (Word) | そこで敬語? はコメントを受け付けていません

もう一つの万博、心新たに。

1970年に開催された大阪万博は、小学1年生の自分にとっても、心
に残る経験となり、今も幼いころの特別な思い出のままだ。
あれから、55年経過した今も、あの当時の日本の発展、成長への
意欲、活気を思い出すと、思わず「あの頃はよかった」と、なつ
かしさがこみ上げる。
あの万博の跡地は公園となり、今も多くの人々に親しまれている
が、そのなかでも大変気に入っているのが「みんぱく」で知られ
る、国立民族学博物館である。少し遠い場所にあるため、頻繁に
は行けないけれど、何度か行き、そのコレクションの量と質に毎
回驚く。そして、世界中からもっと注目されて良い研究の質では
ないかと思うが、内外の評価は気になる。
とにかくあそこに行けば、本当に世界旅行ができてしまうのだ。

久しぶりに足を運び、今は新しい万博で世間が湧いているけれ
ど、こちらの万博も、忘れてはいけないと改めて思った。
私が毎回足を止めてしまうのが、写真の展示物。
ルーマニアのある村のお墓。「陽気なお墓」というタイトルも
興味深い。ひとり一人の人生が見えてきて、こんなお墓である
ならば、あってもいい、入っても良いかもと思えてくる。
これはほんの一例で、世界中のさまざまな地域の人々のくらし
が見えてきて、いながらにして世界旅行ができるのだ。
何度も訪れたくなる前回の万博が遺したまさに、レガシーのひ
とつではと思えてくる。

ある統計によると新しい万博を楽しみにされている方は、前回
の万博を体験している年代の方が多いようだ。
であれば、再び55年前の会場足を運んでみるのも良いし、
前回を知らない人にも、改めて前回の会場跡地にも足を運び
みんぱくも見ていただきたい。
デジタルの時代と対局のリアルな世界が見えてくる。

さらに、太陽の塔も直に見上げてほしい。
あの存在感はいったい?まさに、「芸術は爆発だ!」

やはり岡本太郎は天才だと今回も、あの作品に圧倒
される。
前回のシンボルとして、あの時代の栄華を永遠に思い出させて
くれる。生きる力を今も与え続けてくれる。
そこに観覧車も加わって、私としては、さらにこの風景が
好きになった。

半世紀経っても、1世紀経っても、また足を運びたい。
♪こんにちは~。こんにちは~。世界の国から~。♪
三波春夫さんの声が今も聞こえてくる。

やりっぱなしにならない、しっかり残す。
後も大切にする。
今回の万博も100年後に振り返る知的なものを残して
ほしい。


それにしても、「みんぱく」は凄い!

カテゴリー: Essay (Word) | もう一つの万博、心新たに。 はコメントを受け付けていません

存在感と影響力。

フランシスコ教皇の葬儀が行われた。
以前、何度か訪ねたバチカン。そこに何十万と
いう人々が世界から集まったのだ。
また、各地で追悼ミサも行われたようだ。
そして、現地に足を運べなくても、今はネット
での参列もできる。世界中の人々がその様子を
見守ったことだろう。戦地からも病院からも・
・・・。
そのことを想像するだけでも、キリスト教の
世界はすごいと思うが、それだけではなく
フランシスコ教皇ご本人がそれだけの人
であったのだ。

私もその時間は移動中であったが、スマホで
その様子を拝見した。
「バチカンニュース」というメディアをみつ
けた。主催者が撮影しているのだから、
至近距離でその様子を見ることができた。
教皇が亡くなってからのさまざまな動きも
この媒体では時系列に確認することができ、
とても近い距離感で接することができる。
初めてこの媒体を知った。

歴史に残るこの厳かなセレモニーを、
手のひらサイズで、しかも立って上から覗い
ているなんて、しかも画面を指で拡大したり、
途中でON OFFしたりとずいぶん不謹慎な
参列であるが、きっとゆるしてもらえるだ
とう。と思いながら見ていると、お会いした
こともないのに、不思議な感覚が湧いてきた。

世界のほとんどの人が、直接会ったことはない。
そうであるのに、世界中の人がその死を悼み
別れを惜しむ。
感謝の気持ちと、喪失感と・・・。
会ったことがなくても、語りかけたその言葉
や姿、表情がまさにメディアを通じて、
人びとの中に棲んでいるのだ。

まさに、信仰されている皆さんがパパと呼ぶ
ほどに、国境を越えた、そしてフランシスコ様
においては、宗教を越えての世界の父親的
存在だったのかもしれない。

実は葬儀前の時間。
私は実家のピアノの前に座っていた。
ひとりで哀悼の気持ちをささげて、フランシスコ様の
ふるさとブエノスアイレスの空を想い、
アルゼンチンタンゴを弾いていた。

そして、電車の中で葬儀の様子を見た後も、
おそらく教皇様と同世代だった演奏家たちの現役時代の
バンドネオンの音を聴き、タンゴを讃美歌代わりに
ご冥福を祈った。

フランシスコ様もバチカンに移られてから、
懐かしきふるさとのことを何度も思い出されたことだろう。
そして、もともとはイタリア移民であったということで、
その地元の木で作った棺を希望されたとのこと。
そこで永遠の眠りにつかれた・・・。
ご本人も、そして棺をつくった職人さんも喜んで
おられることだろう。

と、こんな風にいろんなことを想像し、
世界の人々のために祈り、励ました尊い宗教者の
存在について改めて思いをはせる。

世界中の人が感謝をし、これからもずっと
皆の心の中に棲み続ける存在。
ひとり一人が忘れない限り、その存在は永遠だ。

人はいかに生きたか。伝えたか。
により、その存在感が永遠のものとなり、
時代を超えて人々に影響をもたらす。

これをきっかけに、世界が平和になれたら
一番いい。

安らかな眠りを。感謝を込めて。

カテゴリー: Essay (Word) | 存在感と影響力。 はコメントを受け付けていません