3日前の成人式の華やかな印象の余韻がまだ残るなか、新潟
出張を経て、今日は久しぶりに馴染みのデイサービスでの
演奏活動。
こちらも「新春ふれあいコンサート」ということで、初春を
ともに祝うちょっとスペシャルな時間。
「マーサさんは非日常の人でいてください」と、この施設
の代表からはいつも言われる。
日常は同じことの繰り返し。そこにたまに珍しい、ちょっと
特別な時間があると、生活に変化が生まれ、脳も活性化され
利用者さんも元気になる。
そんなわけで、久しぶりにお会いする皆さんのことを思い浮かべ
どんな話題で、どんな曲で愉しんでいただこうかと作戦を練る。
気が付けば、20歳を元気に!夢と希望を与え、そして100歳に
向かう人生の先輩にあの頃を思い出す懐かしの時間をお届け
できる。
毎日、相手も内容も違う仕事をすることができるのは、
本当にうれしい限り。
もしかして、認知症が進んでいる方もおられるかもしれないが
伺う瞬間に、しっかりあの頃の思い出を取り戻していただき、
人生を楽しんでいただけたら。
一緒に感動をつくる。
さあ、今日も愛の元気人で、両親のお友達に会いに行こう!
20歳から100歳まで。
世代を越えて、音楽を通じて、繋がり合えることは
最高の幸せ。
誰に対しても、同じ距離で、「今」を大切に向き合いたい。
20歳から100歳まで。マルチでいこう!
漁火なしで愉しむ、まっくら鵜飼。
岐阜城がその向こうに見える。もちろんその手前を長良川が流れている。
鵜飼が催されるメインステージはこの近く。鵜匠さんたちの住まい、仕事場
もこの辺りにある。
この建物は岐阜市長良川鵜飼伝承館「うかいミュージアム」。
昨年末、生まれた新たなご縁で、今回、当館で実施された「まっくらうかい」
なるイベントに参加してみることに。
最初、イベント名を耳にしたとき、それは何?とすぐにはイメージが
湧かなかったが、鵜飼を、暗闇の会場で体験するというもの。
ますます、何なんだろう?と疑問が興味に変わる。
アイマスクをして、まったく外が見えない状況で、スタッフの導きだけに
より、五感を通じて、鵜飼いを楽しむ。ネタバレになると今後の企画の
邪魔になるため、ここでは詳細を書けないが、とにかく視覚なしの五感で
鵜飼を体験するなんて、考えたこともなかった。
鵜飼は夜の闇に包まれ、焚かれる漁火に誘われ、幽玄な世界で展開される
伝統的なあゆ漁。鵜匠が操る鵜との協働で、長良川の美味しい鮎がとれる。
それを、船に乗った観客が見て愉しむ。
鵜飼は、確かに闇の世界で愉しむものであるが、漁火もライトもないなかで、
手探りで鵜飼を楽しむとは、なかなか珍しい経験だ。
もっと書きたいけれど・・・・。
体験して、いろいろ考え、また胸が高まり、アイマスクの中の目に涙も。
岐阜市が最高のお宝にしている、この長良川の鵜飼。
今回の暗闇のなかのコミュニケーションから、自分もこの伝統文化を
なんとかしたくなるほど、とても素敵な企画であった。
闇に包まれ、おもしろうておもしろうて、やがて・・・。
https://www.ukaimuseum.jp/
若者にウケた曲は・・・!
成人式イベントに呼んでいただき、ミニコンサートを開催、
無事に、盛況に終えることができた。
国歌斉唱からはじまる少し硬くなりがちの、ハレの日の
行事。最初、どのタイミングで拍手をしたらいいものか
慣れない空気であったが、新成人の誓いのことばや発表、
恩師からのメッセージなどが続くと、会場から拍手も
沸いて、少しづつ会場も和んできた。
私自身も、会場の端っこでその様子を見ながら、
成人式イベントのほどよい緊張の空気を感じ、自分の番
を待った。
自分の持ち時間のテーマは「ふるさと、愛、人生」
にした。
ふるさとの替え歌には始まり、「みず・つち・ひと」
を唄い、次には「信長も皆さんを祝ってくれていると
思います」ということで、「NOBUNAGAタンゴ」。
そして、アメージンググレイスの替え歌である
「いきる唄」、最後は「ひと・文様」の成人式バージョン。
自分なりの若者への生きるエールを、
自分のオリジナルを中心につづった。
20歳の若者に私の演奏が通じるかなと思っていたが
意外や意外。みなさん大変よく聴いてくださっているのが
わかった。話にも頷きながら、熱心に聞き入ってくれる人も
いて、こちらも手ごたえを感じた。
面白かったのは、「NOBUNAGAタンゴ」の反応だった。
手拍子を促したが、それだけでなくタンゴのリズムに合いの手
を入れてくる参加者がいた。
なんだか、信長がそこで一緒に踊っているような気持になり、
またこれまでの緊張感がほぐれた瞬間でもあった。
若い人にもいけるなあ~。自分の楽曲が世代を越えて伝わった
ことがうれしかった。
改めて、未来に向かう若者たちの幸せと平和を願う。
今日も各地で成人式イベントが開催されることだろう。
年々少なくなる新成人。ひとりひとりが自分で道を切り開いて
いけるように、応援を続けたい。
今回のコンサートで最後に発した言葉は、
「岐阜を一緒に元気にしていこうね!」
なぜか、彼らとの共通点はそこだと思ったから。
大きく頷いてくれた新成人の顔が、今も焼き付いている。
愛の元気人として、夢と希望を。
本日1月12日は地元で、二十歳のつどいイベントが開催される。
各自治体ごとで、成人の日イベントの日程ややり方はそれぞれあるが、
岐阜市の場合は、校区でそれぞれ開催されるため、大人数での式典的という
よりも、同窓会的なアットホームな感じが想像できる。
いずれにせよ、学生である人、就職をする人、すでに働いている人、久しぶり
に地元に帰ってきた人、すでに結婚した人などなど・・・。
いろんな同級生が集える貴重な機会であることは間違いない。
それぞれ、ちょっと緊張しながらも、仲間たちとの久しぶりの再会を楽しみに
来られる方が多いと思う。
さて、そんなハレの日にお邪魔して、限られた時間ではあるが、歌い弾き、
少しトークもさせていただく。(タイムオーバーしないように注意しなければ)
相手にとって一生に一度という、貴重な機会をいただいた。
主催者の方々や、周囲の皆さんからは、新成人に元気を与えてください。
良き励ましと、希望をもてるメッセージを与えてやってください。など、
リクエストもいただく。
そう、この節目の日での発信は、とても重要なのだ。
私ができることは・・・。
二十歳の皆さんに、元気と愛を伝え、夢と希望を抱いていただけるように
すること。
よし、がんばるぞ!と。
まさに愛の元気人として、笑顔でベストを尽したい。
成人の日への思い。
わが人生、数々の親不孝はあれど、そのなかのひとつは、成人式。
18歳でふるさとから京都へ脱出した自分は、ひとり暮らしは
それまでの生活とは別世界。
親との関係は良好とはいえず、今から思えば、苦い時代。
自分がまいた種ではあるが、
実家に置き去りにしてきたピアノを思えば、後ろ髪がひかれたが、
それでも意地を張ってバイトに、音楽なしの学生生活を送っていた。
「成人式は」
「忙しいし、帰らへんわ」
親は、知らないうちに振袖を用意していたが、当時、親が調達して
くれたその色柄も好きではなく、着たくなかった。
・・・・・その後、その着物は妹に受け継がれたか・・・。今は
もう記憶がないが、とにかく、帰らなかった成人式。
「成人になったら、運転免許をとらないと」
「そんなの、要らん」
と、とにかく、成人になったら〇〇と決めつけられるのも、
自由な暮らしをはじめた自分には、不自由な田舎の決まり事に
縛られるようで嫌だったのだろう。
当時の親の気持ちは、考える余裕もなかった。
今から思えば、自分なりの反発パワーを炸裂させようとしていた
のかもしれない。
自立して生きることが優先であったから・・・・。
と、40年前の今ごろを思い出す。
京都も岐阜も、寒い日。なぜか、雪がちらつく風景が浮かぶ。
昨日、行きつけの美容室に寄ってみると、皆さん成人式の準備で
忙しくされていた。予約されているお客さんが親子で着物を
お持ちになり、事前の打ち合わせ・・・。美容室の中に、着付の
スペースをつくり、着物の置き場所を確保。
普段と違うお店になる。
少子化の影響もあって、大切な娘のハレの日のお母さんの
はりきりぶりは凄いそうだ。
着付けとヘアメイクを限られた時間でこなさねばならず、
またお気に召さないとトラブルになることもあるようで、
一年で一番緊張するイベントだとのこと。
それはそれは大変だろう。
「がんばってね。無事に終わるよう応援してるわ」
とエールを送る。
明日、岐阜では成人の日イベントが行われる。
着付とヘアメイクを完了した新成人の皆さんの集いに
私も参加させていただく。
ご本人はもちろん、親御さんたちの思いが詰まった特別な
日。
自分の親不孝を詫び、そして感謝を込めて
新成人の皆さんにとって、素敵なひとときになるように
とにかく無事に公演を終えたいと思う。
雪は祝福のしるし。
「ながら」で降りてくる、湧いてくる。
40年近く、企画の仕事をしてきているが、アイデアというのは
さあ、何か考えよう!とパソコンの前で、机に向かってうーん。
と、うなっていてもなかなか出てくるものではない。
何かをしているときに、何かをしながらの時間に、
降りてきたり、湧いてくるものだ。
たとえば、料理をしているとき、野菜を切っている瞬間に
「!」と浮かぶときもあり、(もちろん手を切らないよう
そのときは集中しないといけないが)
新聞を見ていて、これ、あれでも使えるな~とか、
歩いていて信号の町の瞬間にメロディが出てくるとか。
とにかく、何かをしているとき、アイデアは湧く。
私は、歩くのが好きだ。いろいろ見て歩くと、心も頭も豊かに
なると思っている。
何かを見ると、抱えている課題に関連するさまざまな発想が
湧いてくる。
流れてくるBGMから浮かぶこともある。
とにかく、企画は「ながら」が一番だ。
だから、いつでもどこででも企画の仕事はできる。
浮かんだらあとは早い。
整理して、行動するのみ。
相手がいる仕事であれば、すぐ提案する準備に入る。
何でもダメもと。
思いついたら即!である。
その方が相手にも伝わる。
今年もすでに、毎日いろいろ湧いている。
煮詰まったときこそ、町に出よう。
余計なことをやってみよう。遊んでみよう。
一見無駄な時間を過ごしてみよう。
そう、決まった日常を少し俯瞰する、少し
別の視点から世界を見てみることだ。
きっとそこから、次へのヒントが生まれる。
今朝も新聞を見ていて、湧いてきた。
そんな朝は とても気持ちよく、元気も沸く!
毎日がカウントダウンの幸せ。
ゆったりと時間が過ぎた年末年始の暮らしは一変。毎度おなじみの
せわしない日々にすっかり戻り、おかげさまで次から次へと課題が
ふってきて、今後の予定もどんどん埋まっていく。
テンポよく毎日を過ごせるのは、ありがたいこと。
やっぱり動いているのが性に合っている。
そして、毎日が何かのカウントダウン。そして、もぐらたたき。
ゲーム感覚で楽しくもある。
今日は新たなプロジェクスタートの立ち合いもある。
うまく担当者たちがバトンを受け取り、走り出してもらえたら
まずは、よし。
その次は成人式の本番。
12日までに、どこでいつ練習をして、準備を整えるか。
あと3日、あと2日、そして前日、当日へ。
小さな本番、大きな本番いろいろあれど、とにかく毎日が
何かの本番であり、カウントダウンの日々。
そして、すべては同時進行。
改めて、同時進行には想像力が大切さ。
あれがこう動き、これがこう動く、と自分の頭の中をターミナル駅に
たとえるならば、何番線からどこ行きの列車がいつ、出発するか?
すべて無事に運行しなければならない。
と、普段の生活を取り戻しながら、毎日ぐるぐる目まぐるしく
動いている。
毎日が違って、新鮮で。まさに一期一会を大切にしたい。
元気であればこそ、贅沢なもぐらたたきである。
若き人へ。のはじまり
新春。いい言葉だ。
四季で「新」が付くのは、春だけだ。おそらく。
それだけに、新しい春とは、いろんなスタートを意味する。
まもなく成人の日もある。
そして、4月に向けては新入社員たちの出発準備。
この春、新社会人になる人たちは、この新年をどんな思いで
迎えているだろう。
ふと自分の約40年前を思い出し、格別な思いがあっただろう
か?とふりかえる。
正直、そのときの気持ちを再現することはできないが、
スーツ、バッグ。当時、入社式用に用意したスーツの色や形
を今も覚えている。
今日は、ある企業にこの春から入社される皆さんへの
コミュニケーション研修。
デジタル、ネット環境の下、育ってきた、いわゆるZ世代と
言われる皆さん。
いろいろその特徴は言われているけれど、直接交流する機会は
最近実は増えてはいるが、毎回刺激的であり、とっても新鮮だ。
昨日もある会社の新入社員さんとチャットで個別やりとりを
くりかえし、理解を深め合えたことがうれしかったが、
そんな瞬間を大切にしたい。
世代ということでひとくくりにするのではなく、
ひとり一人と向き合いたい。
時代を越えても、普遍なるもの、人としてのコミュニケーション
の大切さを伝えることができたら。
情報を選び、しっかり深く考え、自分の思いをもって行動する
ことの意義深さを伝えることができたら、
自分の人生は一度きりであるから、今選んでいる道を最良の
ものとしたいと思ってもらえたら・・・
などなど、私なりの思いがあふれてくる。
その思いの片鱗が、みなさんに伝わったらうれしい。
今日1日が、新年の、新春にふさわしい意義ある1日になったら
うれしい。
今日からはじまるZ世代の皆さんとのメモリアルデイズ。
今日の研修、そして来週の成人の日へ。
今年のはじまりは、わくわく!が多くて幸せだ。
自分にしかできないことを。
AIの活躍が目覚ましい。
その存在に人格があるわけではないが、学習力が素晴らしい。
わずかの情報から、多くの関連情報を集め 求めるアウトプ
ットを提供してくれる。しかも瞬時に、である。
今、人間はそんなに努力をしなくても、ほどほどの表現がで
きてしまう。
深く考えることよりも、早くこなすこと、効率を優先するこ
とが日常になりつつある。
今、若い人たちとの協働時間が増えているが、
「はい、AIに手伝ってもらいました」
という会話が日常である今日、その言動に驚いているようで
はいけない。
それもあり。現実を認める。その利点を自分も理解する。
でも、自分にしかできないことをみつけ、極めることを怠らず。
一昨日、地元の初春コンサートに出かけたことはすでに記述し
たが、あれは、まさしく 人間ができる、人間だからこそでき
る生の表現。
ライブとは恐ろしいもので、本番は一回きり。
だから、この上なく演奏する側も聴く側も、ともに緊張するの
だ。
機械のように計画どおりに、安定した音色が出なくても、その
時の演奏者の生き様が見えることで、私たちは感動する。
その人が今、生きていることを、その人のがんばりを感じる
ほど、心を動かされるのだ。
一生懸命やっている姿を一番美しいと思うのだ。
もちろん、そこには一定の技術も求められる。
それも含め、
自分しかできないことをやっているその姿が、感動に値する
のだ。
人間らしいことが、人の心を動かす。
なぜ、それをやっているのか。を問い続けながら、努力する
姿に感動する。
このことを、忘れないでいたい。
AIも時と場合に必要であるが、それ以上に「あい(愛)」を
もって自分しかできないこと、生きていることの証しを示す
ことを希求し続けたい。
来週、成人の日のイベントに向け、若者たちの未来を想像
しながらそんなことが頭をよぎる。
まだまだ知らないことだらけ
久しく足を運んでいなかったクラシックのコンサート。
地道に地域で開催され、出演者の関係者、応援者たちが
駆けつける、アットホームな演奏会。
岐阜を離れて40年以上経ち、そんな場にも疎遠となって
おり、コンサートといえば、海外に行った際にクラシッ
ク本場で学び、活躍する演奏家や指揮者の演奏を聴きに
行く(しかも一番安い最上階、バルコニーの端っこの席
で聴くのがお気に入り)
と、今から思えばコンサートに行くこと自体がハレな感じ
であったが、最近は地元での活動にもご縁が生まれ、
時折、足を運ぶようになった。
そこでの学び。演奏家たちの技を見る、知ることももちろん
あるが、最近ではコミュニケーションの視点から、
このパフォーマンスは伝わっているか?という点からも
学ばせていただいたり、何より、知らない曲に出会うこと
が楽しいし、知らない演奏家の出会いもうれしい。
こんな作曲家が、いたんだ。こんな悲しい曲を書いている
背景は、やはりその人が生きた社会が背景になるのだ・・
など、そんなことにも触れることで、改めて音楽の力を
感じ、可能性も感じる、
こんな美しいメロディ。私にも書けるかな。
などなど、コンサートに行くと、自分の内面がワンダー
ランドに変化する。
また、それぞれの年代、経験を重ねてきた演奏家
のパフォーマンスから、その人たちから音楽への愛着を
感じることもうれしい。ただ「音楽という一本の糸」で、
人は結び付くことができることにも、心動かされる。
まだまだ知らない世界、若いときにはわからなかった
味わいが、わかることも新鮮である。
今回初めて聴いた曲。アザラシヴィリの「無言歌」、
ハンス・ジットの「エレジー」という作曲家の作品。
新たな発見。その作曲家自体を知らなかったから、
もっと勉強せねば!
また、バルトークのルーマニア民俗舞曲も、素晴らしい。
民俗という言葉は、大衆文化の象徴。いろんな人々が瞬時に浮かぶ。
そんな自分にとっての新曲との出会い、さらに
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」弦楽三重奏版も心穏やかに。
バッハってこんなに良かったんだ。とコロナ前、
最後に出向いたドイツ。途中下車して駆けつけた
アイゼナハのバッハの家を思い出し、天才は時代を
越えて生き続けることを再認識・・・。
また、楽器ではなく、歌の力も改めて感じる。
人間自体が、生きる楽器である。
魂を込める演奏について、改めて感じ、
人は声だけではなく、表情も含め、全身で演奏
することで、人に存在を伝えることができること
も、改めて学ぶ。
とにかく、まだまだ知らないことだらけ。
もっと知ろう、もっと触れよう。
興味が芽生えるものには、自分からもっと
挑戦していこう。
新春に訪ねた地元でのコンサートから、音楽の
すばらしさ、多様性を改めて学ぶ。
良質なもの、コト、人との出会いを得て、
さらに内面を充足させていきたい。
それが一番の幸せだ。
お声をかけていただいた主催者に感謝して・・・。